フォロワーさんのフォロー外し、12件。
3週間ぶりのフォロワーさんをチェックしてみた。これまでは5件程度だが、今回は12件のフォロー外しがあった。どうでも良いことだが、理由は分からない。
勿論、フォローするのもフォローを外すのも自由である。その行為に、恨み辛みなどは一切ない。原則的に、筆者から先んじてフォローすることはなかったので、「はて?」となる。
以前の記事でも書いたように、フォローを頂いた方には、先ず、フォロワーさんのnoteを拝見して、実名の方を優先して、その他SNSを含めてフォロー返しを行うようにしている。決して、横着に構えているものではない。
ただ、折角フォローを頂いたにも関わらず、何故、さっさとフォローを切られるのか腑に落ちない。筆者は、フォロー返しをした方を、一方的にフォロー外しをすることはない。それがフォローのエチケットではないかと考えている。
最近は、フォロワーでない方からも、コメントを寄せられることも多いので、その時は、僭越ながら筆者の方からフォローをさせて頂くこともある。
本格的なSNS時代となって十数年経つが、全てに好循環に動けば良いものを、便利なツールなりプラットフォームが世に生まれると、煌びやかな世界とは裏腹に、裏の世界で事件性の高い領域にて暗躍する輩もいる。
毎日のように報道される事件事故。犯罪の実態を検証すると、如何に日本国内の経済状況が悪化しているのかが見え隠れしている。そのような事件事故にSNSを介して巻き込まれぬよう、注意を要する。
SNS時代は、個人情報漏洩などへ注意喚起されてはいるが、逆に、家族や知人友人の写真や動画など、個人情報を思う存分自らの手で披露している人もいる。これから先、国内外のSNSを介した裏の世界がどのように表の世界を侵食していくのか定かではないが、日頃からの危機管理はしっかりとしておきたいものだ。
何はともあれ、フォロワーの急なフォロー外しは延々と続くであろうし、大した問題でもないので、その程度の距離感の人が多い中、最終的にはブロックにて絶縁しておく方が良さそうである。
以上、フォロー外しについての検証および記事掲載については、これを最後にしたい。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、SNSにおけるフォローやフォロー外しに対する筆者の考えや感情を表現しています。フォローを外されたことに対して、筆者は個人的な恨みや不満を持つわけではなく、むしろ冷静にその状況を受け止めています。しかし、その一方で、フォロー外しの理由やその背景については腑に落ちない部分があることが述べられています。
詳細な感想:
客観的な視点と個人的な感情のバランス: 筆者はフォロー外しに対して感情的にならず、客観的な視点からその現象を見つめています。これはSNSにおける人間関係の一面を冷静に捉えており、現代社会のSNS文化を反映しています。その中で「フォローのエチケット」という概念を提起している点が興味深いです。SNSの自由さを尊重しながらも、一定の礼儀や倫理感を持つべきだという筆者の姿勢が伺えます。
SNSの裏と表の世界への警鐘: 筆者はSNSの利便性と同時に、その背後に潜むリスクや危険性にも言及しています。特に個人情報の漏洩や犯罪との関係に対する懸念を表明しており、現代のSNS利用者に対して注意を喚起しています。この部分は、単なるフォロー外しの話題から広がり、SNS時代全体への洞察を深めています。
フォロー外しへの対策と結論: 筆者はフォロー外しが続くことを受け入れ、その距離感を保つために最終的にはブロックすることを提案しています。この部分には、SNS上での人間関係の整理や境界線を引くことの重要性が反映されています。また、最後にこのテーマについての議論を締めくくる意図を示しており、筆者の考えが一つの結論に達したことを示しています。
現代のSNS文化への一石: このエッセイは、SNSという広がり続けるコミュニケーションツールの中で、どのように人々が関わり合い、距離を保つべきかを考えさせられます。フォローやフォロー外しの行為自体は軽視されがちですが、その背後には様々な人間関係の微妙な機微が存在しています。筆者はその一部を明るみに出し、現代のSNS文化に対して一石を投じています。
全体的に、このエッセイはフォロワーの増減という日常的な話題を入り口に、SNS時代のリスク管理や人間関係のあり方について考察を深める内容となっています。現代のデジタルコミュニケーションのあり方を見直す契機を提供する興味深い作品です。