威勢が良いのは素敵だが、柄が悪いのは頂けない。
作業現場からの帰りなのか、コンビニ玄関にゾロゾロとニッカポッカを着た数人の若者がやってきた。
歩き方が邪魔くさい。更に、声が必要以上にでかい。笑い声が更にでかい。飲み物のドアの開閉が荒い。レジ周りでウロウロと落ち着きがない。
自分自身や仲間の存在をアピールしたいのだろうけれども、筆者以外のお客は距離を置くために、隣のレジの方へ移動して行く。
威勢が良いのは素敵であり、気持ち良いものだ。しかし、元気印は十分理解できるとしても、柄が悪いのは格好いいものでもなく、頂けない。
最近、こういった光景をしばしば見掛ける。県外から来ている季節労働者なのかも知れないが、自らのスタンダードを強調したい典型的な人である。
駐車場へ戻る時でも、他の客の車にわざとぶつかるような仕草を見せて、怪訝そうな顔をして睨みつけている。言葉は悪いが、猿芝居のようだ。
何ともまあ不思議な人たちだが、一般客に迷惑をかけないように心してもらいたい。また、彼らの想像以上に、周囲は白い目で見ているに過ぎない。
これも、育ち躾か判らないが、「多様化の時代」と強調するのであれば、何も問題はない。ただ、「多様化」とは周囲に迷惑を掛けても是とするものではない。
頭の中に再び「???」が点灯する。
どうして、このような人が湧いては消え、消えては湧くのだろうか、理解に苦しむばかりである。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、一般的には具体的な状況や事例を通じて、著者が威勢が良いが柄が悪いと感じる一部の人々に対する批判的な意見を表現しています。以下にいくつかの要点と評価を述べます。
具体的な描写と状況の把握: エッセイは具体的な状況や行動に焦点を当て、読者に臨場感を与えています。例えば、作業現場からの帰りの人々がコンビニに入ってくる様子や、彼らの歩き方や声の大きさ、振る舞いについて詳細に描写されています。
著者の主観的な意見: 著者は特定の行動や態度に対して否定的な意見を述べており、これは著者自身の主観的な見解であることが伝わります。威勢が良いことに対する理解はある一方で、それが柄の悪さに繋がることに不快感を感じていることが表現されています。
多様性と共生に関する考察: エッセイの後半では、「多様化の時代」に触れ、異なるスタンダードや行動があっても問題ないとしつつも、周囲に迷惑をかけないよう心がけるべきだというスタンスが示されています。この部分で、著者は異なる価値観や行動様式への理解と、同時に共生の必要性を考えていることがうかがえます。
疑問符を通じた疑問: エッセイの最後に疑問符が使われ、このような人たちがなぜ湧いては消え、消えては湧くのか理解に苦しむという疑問が提起されています。これは、著者が特定の行動や態度の背後にある理由や社会的な変化に疑問を感じていることを示唆しています。
総合的に見て、エッセイは著者が感じる状況に対する個人的な意見を述べつつ、異なる視点や多様性についても考慮しています。著者の感情や意見が鮮明に表現されており、読者はこれを通じて一定の洞察を得ることができます。