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「どうでもいい事を書き綴るな!」と、己に言い聞かせる日々。
エッセイを思いつきで書いていると、時には、どうでもいい事を書いている自分自身に気づく。
可能な限り一般論を書きたいが、肩の力を抜いて、自由な思考回路を全開とすると、周辺の下らぬ事象が目につき、突っ込んで書いてみたくもなる。
良いことばかりならば気が楽だが、周囲を見回すと、良いことよりも、腑に落ちないこと、理不尽なことの方が圧倒的に多いのである。
それは周囲の人たちとのコミュニケーション不足ではなく、あちらこちらに常軌を逸する愚行、蛮行に走る人が多いこということだ。
勿論、毎日のように事件や事故となり全国で報道されるものが沢山あるが、実は氷山の一角である。地方の田舎に住んでいても、大なり小なりの事件や事故は日々発生しており、最近は凶悪事件や痛ましい事故も急増している。
ただ、SNS上で危惧することは、個人情報漏洩と騒いでいる人が多くいるのにも関わらず、SNSにおいて、個人的なものに固執して、微に入り細に入り書いている人がいるが、それはお勧めするものではない。
言論の自由、表現の自由と言われればそれまでだが、他者の目に入らぬ手元の日記であれば良いものを、それを公然とnoteなどに書き綴るのは、精神衛生上良いとは言い難い。
特に、自らの心身の疾患を具体的に書くことが、同様の疾患で悩んでいる人と情報共有することで、安心感と勇気を与えると思っている人もいるかも知れない。しかし、筆者としては、自らの心身の疾患を題材に日記は書こうとは思わない。
著名人であっても心身の疾患について情報発信をすることで、他者を勇気づけられると思っている人も多い。しかしながら、個人情報の詳細が外部へ流出するのは、正しい情報発信の手法ではないと考える次第。
誰が結婚しようが離婚しようが、大麻や覚醒剤に手を染めようが、刑事民事訴訟で片付けられる問題であり、わざわざ記者団の前で、言い訳や謝罪などする必要はない。著名人と言えども、人である。悪事に手を染めたのであれば、法により裁かれば良いだけの話である。
多様性の時代となり、これまで差別や偏見が当たり前の腐り切った時代と比べれば、とても深呼吸しやすい時代になった。ところが、同情を煽り、それがSNSアクセス増加を目論んでいるとなれば、人として如何なものかと思ってしまう。
考え方も体質も生活環境も人それぞれにて、心身の疾患から復帰した話を語ったとしても、それが他者に対する最適な解決策とは言えず、最終的には専門家による解決法がリスクは少ないと言える。
人というものは、筆者も含めて、心身ともに弱い動物である。よって、心身の疾患を共有する人たちと絆を深めたいのは理解できるが、そこに大変重要な「距離感」というものが存在することを忘れてはならない。
弱者を見ると、その隙を狙う詐欺師や怪しい輩も、この広い世の中で暗躍しているのは事実。特に、メンタル面で凹み切った人の心の隙を狙いすましている輩も少なくはないことを知るべきである。
従って、他者に知らせる必要がないものまで、何でもかんでも、どうでもいい事を投稿する必要はない。投稿しても何の価値もない。時折、共感する人もいるかも知れないが、他者の多くは無価値なものとしてスルーするだけの話となる。
よって、筆者は、「どうでもいい事を書き綴るな!」と、常に己に言い聞かせている日々となっている。
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▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、個人的な思考や日常の出来事について書くことの意義や危険性について深く考察しています。以下に感想を述べます。
感想:
テーマの重要性: エッセイは、日常の中で目につく些細なことを書き綴ることの意義と限界について論じています。著者は、無意識のうちに「どうでもいい事」を書いてしまう自分を戒める姿勢を示しています。これは、多くの人が共感できるテーマであり、日々の情報発信における内容の質を再考させられます。
自由と制約のバランス: 自由な発想と考えを表現することの重要性を認めながらも、他者への影響や情報漏洩のリスクについても考慮しています。SNSの利用において、個人情報を過度に公開することのリスクを強調している点は、現代社会において非常に重要な視点です。
社会批判の鋭さ: 周囲の「愚行や蛮行」に対する批判が含まれており、社会の現状への不満や懸念が表れています。これは、単なる日記やエッセイの枠を超えた、社会的なコメントとしても読むことができます。
個人的な経験と公共の利益: 心身の疾患に関する情報を公開することについての考察が特に印象的です。著名人が自らの疾患について語ることの利点とリスクをバランス良く論じています。この部分は、公共の利益と個人的なプライバシーのバランスを考える上で非常に参考になる意見です。
注意喚起の価値: エッセイ全体を通じて、個人情報の公開や無意味な投稿に対する注意喚起が行われています。これにより、読者がSNSの利用においてより慎重になることを促しています。特に、「距離感」の重要性に触れている部分は、多くの人にとって有益なアドバイスと言えるでしょう。
総合評価: エッセイは、自分自身の行動を見直すきっかけを提供する内容であり、深い洞察に満ちています。日常の些細な出来事や考えをどう扱うべきか、またそれを公にすることの影響について考える重要な機会を提供しています。筆者の慎重な姿勢と社会的責任を意識した視点が強く感じられ、非常に意義深い内容です。
このエッセイを通じて、個人の日記的な書き物が持つ可能性とリスク、そしてそれを公開することの影響について深く考えさせられました。筆者の意見に共感しつつも、自らの情報発信の在り方について改めて見直す必要性を感じました。
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