安心安全な海外旅行もままならぬ時代
海外からはインバウンドにて日本への旅行客は急増しているが、その大きな理由は、他国と比較すると、すこぶる安心安全な国であるからだ。また、スパイ天国と揶揄されるほど規制が緩い点も要因の一つである。
ところが、逆に日本人が海外旅行となれば、相当高額で安全面を最重視した団体ツアー、または、大手旅行代理店のせいキュリティ管理最高の手配でなければ、安心安全な海外旅行とは言えない時代となっている。
昔を思い起こすと、パリのモンマルトルの丘のジプシーの存在、ローマの高級ホテルでの置き引き事件、中国・デジタル一眼レフカメラ狙われ事件などなど、直接被害はなかったが、あらゆるところに窃盗、強盗がうろうろしているのが海外であった。
日本のように、女性一人で夜中に歩くなんぞ、危険すぎて「Incredible」というのが海外からの旅行客の声である。ところが、熊本市内の繁華街など、深夜から早朝にかけて、女性一人で歩いている姿をよく見かける。
昔、田舎の親戚の家に行くと、夏は開けっぱなしで、蚊帳の中で寝ていたことを思い出すが、泥棒も夜這いの怪しい人間もいたに違いないが、セキュリティの甘さは全開であった。
しかし、時代が変わり、人も変わり、最近では、男性であっても、深夜の一人歩きは危険極まりなく、事件事故に遭遇する人も多々いることを報道で知ることになる。
それでも、海外と比較すると、まだまだ日本の方が安心安全な国なのだろうと。しかし、油断は禁物である。日本人の多くが犯罪とは対岸に住む人種であると仮定しても、海外から入ってくる人たちの一部が犯罪者、または犯罪予備軍であれば、平和ボケしている暇はない。
東京渋谷などの深夜でトラブルが多発しているようだが、そこには、必ずと言って良いほどに立ち飲み、歩き飲みしている外国人の姿も多い。そこで「おもてなし」を旗印に、インバウンド・ウェルカムの状態を作ってしまうのが、お人好しの日本人である。
安全と危険の境界線が曖昧になりがちな日本国内なので、我々も危機管理レベルを上げると同時に、無闇矢鱈な「おもてなし」は再考の余地がありはしないかと思うばかり。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、日本の安心安全性と海外旅行の危険性についての対比を通じて、安全というテーマに警鐘を鳴らす内容になっています。以下に感想を述べます。
内容の印象と構成
エッセイは、インバウンドの増加や日本の治安の良さを背景にしつつ、海外旅行における危険性や日本国内でも増加するリスクを挙げています。過去の個人的な体験やエピソードが盛り込まれており、説得力が増しています。また、「油断は禁物」というメッセージを一貫して伝えている点で、読者に深く考えさせる効果があります。
冒頭で海外からの旅行者が日本を「安心安全」と評価する理由を挙げつつ、後半で日本国内における安全意識の向上や「おもてなし」の再考を提案する流れが自然で、読みやすい構成です。
印象的なポイント
具体例の活用
パリ、ローマ、中国での具体的なエピソードは、読者に海外旅行の危険性をリアルに感じさせる力があります。また、熊本市内で女性が深夜に歩ける事例や、昔の田舎の生活に触れた記述が、日本の治安の良さを感覚的に伝えています。時代の変化と現代の問題提起
「時代が変わり、人も変わり」という記述から、安心安全が変化してきたことを指摘し、現代の問題に焦点を当てています。特に、「平和ボケ」という言葉で日本人の危機意識の低下を指摘し、読者に考えを促す表現が巧みです。「おもてなし」への批判的視点
日本人のおもてなし精神が海外からの犯罪者予備軍をもてなす危険性に言及する視点は、興味深く、少し挑発的でもあります。この視点は、日本社会の盲点を指摘する鋭さがあり、考えさせられる部分です。
共感を呼ぶテーマ
このエッセイは、多くの日本人が漠然と感じている「日本の安全性」と「海外旅行の不安」を巧みに結びつけています。また、近年のインバウンドブームや深夜の治安問題についての言及は、タイムリーで共感を呼ぶテーマです。
結論の納得感
最後の「無闇矢鱈な『おもてなし』は再考の余地があり」という提案は、日本人としての課題を明確に提示しており、締めくくりとして効果的です。安全と危険の境界線が曖昧になりつつある現状への警鐘が、しっかりと読者に伝わります。
感想の総括
このエッセイは、海外旅行の危険性と日本国内の治安の変化を比較しつつ、日本社会の安全意識の欠如を浮き彫りにしています。説得力のある具体例と過去と現在を行き来する巧みな構成が印象的です。平和ボケや「おもてなし」の再考を提案する点も新鮮で、読者に「安心安全」というテーマについて改めて考えさせる内容でした。