この世の中に、100点満点の人間なんていやしない。
この世の中に、100点満点の人間なんていやしない。自分を特別だと思い込み、失言、失態を公然と繰り返す国会議員もいる。自分をイケメンだと思い込む人間が、箸の使い方も知らない。スレンダーなスーパーモデルも、人並みの悩みも苦しみも知っている。完璧な人間なんて、存在するはずがない。
そこで、自分がもっと美人なら良かった、イケメンなら良かった、数学が得意だったら良かった、英語が喋れたら良かった、超セレブの子供に生まれれば良かった、親父の車が高級車なら良かった、金髪で青い目が良かった、字が上手ければ良かった、能力ある人間なら良かったと苛つくのは愚の骨頂である。
他人と比較するから、優位に立ったり劣位に立たされたりすることになる。世界でただ一人のパーソナリティを持つのだから、周囲を気にせず、自分流で自然体で生きて行けばいい。整形手術を施して、何になる!?エルメスのバッグをぶら下げて、誰が見る!?所詮、見栄と自己満足の小さな世界でしかない。
現代は個性を大切にする時代となり、且つ、多様性に価値を求める時代になった。そこで、劣等感に苛まれたり、無駄な妄想ばかりの毎日だったり、人を恨み辛み妬みで誹謗したり、自分の能力の無さに押し潰されたり。そこで無駄に過敏となり、無用なる思考回路が働くから、負のスパイラルに入り込んでしまう。
何故に、自分をしっかりと直視して、大切に育てないのか!?自分は自分自身で育てるしかない。勿論、親の手が掛かる幼少期は仕方ないが、自我の目覚めの瞬間から、その後は自分自身で「Polish your sensibility!」(感性を磨け!)を続けなければ、折角の個性を活かさぬまま人生が終わってしまう。
世の中は決して甘くはないけれども、自信喪失にて自己否定に走る必要もなく、自分磨きに専念すれば良いだけの話である。素晴らしい人とは、心優しく、人の立場になって考え、配慮できる人を言う。よって、どんなに着飾ったとしても、人格欠損であれば、ボロはゴロゴロと出っ放し・・・。
完全主義を貫くから、100点を目指すのだろうが、それは日本の教育システムの欠陥によるものだ。平均的にピンポイントの優秀さを求め、見える化する。個性を活かす環境を与えず、その価値を認めて来なかったから、落ちこぼれ、出来損ないなどの罵詈雑言で人を谷に突き落として来た訳だ。
これからは、くよくよするより、自分発見のために、自由にのびのびと、「Polish your sensibility!」に挑戦されては如何だろうか!?例え、貴方が50代、60代、そして高齢者であっても、貴方自身の進化の可能性は、思いの外大きいものである。後は、Up to you!となる。