著作権侵害で「法の不知」は通用せず
仕事柄、著作権については厳格に考えている方だが、SNSを見て回ると、著作権侵害に当たる呟きや記事が無数に存在していることに気づく。
例えば、新聞記事をスマホで撮影して、自分のエッセイや記事に無断添付している人もいる。厳密に言えば、それは新聞社の著作権を侵害していることになる。
昨日、ある人からFacebook上でのコミュニティ参加の誘いがあったので、それを拝見することに。コミュニティ概要は理解できたが、呟きではほぼ毎日のように新聞記事が掲載されていたので驚いた。
著作権など知的財産権について疎い方がコミュニティを運営するのは構わない。しかし、「法の不知」として著作権侵害に気付かぬレベルなので、コミュニティの価値を見出せなかったのである。よって、参加を見送った。
1995年の初秋だったろうか、筆者のインターネット公式サイトについての記事が画像とともに大々的に新聞一面掲載されたことがある。記事には、筆者が記者に語ったことや熊本大学教授が語った内容が主なものだった。
それを、筆者公式サイト上で、新聞1面のカラー映像を記事として掲載したのである。それから数週間後に、同新聞社資料調査部長名にて著作権侵害にあたり、相当額を請求すると脅しのような内容証明書が届いた。
前職の新聞社から突きつけられた著作権侵害通知。勿論、それに対して、記事を書いた記者へ「記事の映像使用確認」を事前に行い、記事に書かれたものはほぼ筆者が語った内容でなので、厳しい反論を突きつけた。
それから全くリアクションがなくなった。よく考えれば、その脅しの書簡を送った資料調査部長の個人的な嫌がらせであり、高圧的な内容証明書であることが判明した。結局は、その人物の無知なる暴走、越権行為である。本来ならば、新聞社代表取締役名で送付する重要書簡であるべきだ。
実は、その人物はよく知っており、底意地の悪い噂が立っていた。取るに足りなぬ難癖であるが、新聞社名が印刷された茶封筒で送っているので、もし個人的感情にて送りつけたのであれば、その部長の失態となり、降格ものとなる。
しかしながら、その後、記事を書いた記者が「新聞記事一面の画像使用については許諾していない」と虚言を発すれば、筆者には証拠がなくなるので、法的にはグレーゾーンとして扱われる可能性も無きにしも非ず。
よって、新聞記事に自分のことを書かれているとしても、記事の著作権はその新聞社にある訳だ。よって、いかに個人的な利用と主張しても、事前許諾を得ることのもなく、毎日のように記事を撮影したものを自らのエッセイのマテリアルにしてはならない。
これまで、著作権侵害の被害には大なり小なり二桁もの被害経験があるので、著作権については過敏にならざるを得ない。一昨年末には、筆者が書き綴った非売品小冊子の盗作本をAmazonで他者が販売していた事件も経験している。
よって、著作権については、今一度、自らのエッセイや記事を見直す機会になればと思うばかり。「懲役10年以下、または1000万円以下の罰金に処す」となれば、洒落にもならない。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、著作権侵害についての筆者の経験と見解を述べています。以下、いくつかの点について感想を述べます。
1. 著作権の重要性と認識の欠如
エッセイの冒頭で、著作権侵害がSNSやインターネット上で頻繁に見受けられることに対する筆者の懸念が述べられています。特に、新聞記事の無断使用について具体例を挙げています。これは、著作権の重要性を理解し、それを守ることの重要性を強調するものであり、現代のデジタル社会においてますます重要な問題です。
2. 自身の経験から学ぶ教訓
筆者が1995年に経験した新聞記事の無断使用に関するエピソードは、著作権侵害の具体的なケースとして非常に興味深いです。この経験から、筆者は著作権に対する認識を深め、他者の著作物を使用する際には慎重になる必要があることを学んだと述べています。
3. 著作権侵害の被害者としての視点
筆者自身も著作権侵害の被害者であることを明かしています。特に、自身が書いた非売品小冊子が他者によって盗作され、Amazonで販売されていた事件は、著作権侵害の深刻さを改めて認識させるエピソードです。この経験は、著作権を侵害される側の痛みや悔しさを読者に伝えるものであり、共感を呼び起こします。
4. 法的なリスクと対応の重要性
最後に、著作権侵害に対する法的なリスクについても言及しています。罰則の具体例を挙げることで、著作権侵害が洒落にならない重大な問題であることを強調しています。この点は、著作権を軽視することの危険性を読者に認識させるための重要なメッセージです。
総括
このエッセイは、著作権の重要性について考えさせられる内容です。筆者の経験と具体例を通じて、著作権侵害がどれほど深刻な問題であるかを理解することができます。特に、SNSやインターネットが普及する現代において、著作権に対する認識を高めることは重要であり、このエッセイはその点について読者に強く訴えかけています。