神輿になるな、掌に転ばされるな。
詐欺師のような人物は、自称饒舌者が多い。言葉巧みに、他者の神輿を担ぎ、タイミングを見計らって掌で転ばし、落とす。
兎に角、饒舌にも称賛の言葉を並べられて気持ち悪く思う人は少ない。しかし、詐欺師やその類の人間は、神輿(みこし)を担ぎ、他者の心を揺さぶり、最終的には掌(たなごころ)に転ばして騙すのだから、始末に悪い。
騙されたり、被害にあった人たちは、後の祭りとして呆然と立ち竦むだけだ。何とも言えない後味の悪さだが、このような輩は周囲に万といる。思いもしないことを、のうのうと言える厚顔無恥さには驚く。
しかし、他者のことを心配し、苦言を呈してくれる人に対して、嫌がる人が多いのは、褒められる方が圧倒的に心地良いからだ。よって、苦言や提言に対しては、直視することもなく、そっぽを向くのである。
そうした人の心理状態を読み切って罠を仕掛けるのが、詐欺師であり、その類の人間である。だから、神輿を担がれウキウキ気分。掌に転ばされても気づかず、気づいた時には地面に叩きつけられているという訳だ。
対して、称賛とは真逆の脅迫、恫喝にて罠を仕掛ける詐欺師やその類の人間もいる。あれやこれやと、ネガティブ情報を投げかけ、他者を不安に陥れ、他者が浮き足だった瞬間を見計らい、騙しの実行に移る。
筆者の周囲には、上述のような詐欺師やその類の人間は皆無に等しいけれども、過去を振り返ると、十人以上は黒い影が確かに存在していたように思えてならない。現在は見る影もないが、そのような輩は、ターゲットとした人物へのアプローチはマッハの速度であり、虚言連発の絨毯爆撃を仕掛けてくる。
特に、人と人の間に、積極的に介在してくる人物は要注意。必ず、何かを嗅ぎつけ、金になるものであれば、手段を選ばず、詐欺的愚行に走るのである。法の網のギリギリのところで、つまり、刑務所の高い壁の上を猫足で歩いているようなものだ。
下手をすると刑務所の中へ落ち、うまく事が運べば公道を堂々と歩く。そのような輩とは接触しないように気を引き締めておかねばならないけれども、途中で豹変するような輩が多いので、確と人格を精査した上で、人間関係を構築すべきであろうかと。
※画像は全て画像生成AI DALL-Eにより制作
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイ「神輿になるな、掌に転ばされるな。」は、詐欺師やその類の人間が他者を巧みに操作し、最終的に損害を与える様子を鮮明に描写しています。筆者の言葉は辛辣ながらも的確であり、読者に警鐘を鳴らしています。
以下に感想を詳述します。
1. エッセイ全体の印象
エッセイは、日常生活で遭遇しうる「詐欺的行為」について、読者に具体例を挙げて警告を与える内容です。「饒舌な詐欺師」や「ネガティブな脅迫」による心理的操作、さらに社会的関係を利用する詐欺の手口を巧みに言語化しており、説得力があります。特に「神輿を担ぎ」「掌で転ばされる」という比喩表現は印象的で、詐欺行為の本質を鮮やかに浮かび上がらせています。
2. 注目すべき表現
「神輿を担ぐ」
他者を持ち上げて気分良くさせる様子が、詐欺師の行動として描写されています。この表現は、詐欺行為の背後にある心理操作を的確に表しています。「掌に転ばされる」
一見持ち上げられているようで、実際には騙されている被害者の状況を端的に示しています。視覚的な比喩であり、読者の理解を深めます。「刑務所の高い壁の上を猫足で歩いているようなもの」
詐欺師が法のギリギリを巧みにすり抜ける様子をユーモラスに表現しつつも、その危険性を浮き彫りにしています。
3. 筆者の視点の強さ
筆者は自身の体験に基づき、詐欺師やその類の人間について鋭い洞察を示しています。「十人以上は黒い影が存在していた」という具体例が、過去の経験に裏打ちされた信憑性を持たせています。また、現在の生活ではそのような人物を遠ざけていると述べることで、警告としてだけでなく、自己防衛の実践例としても参考になります。
4. 読者へのメッセージ性
エッセイは、他者を過度に信じすぎず、冷静に人間関係を築くことの重要性を説いています。詐欺師がターゲットの心理を巧みに読み、虚言や脅迫で相手を操る様子を細かく描くことで、読者に危機意識を持たせています。また、「豹変する輩が多い」という指摘から、表面的な好意や称賛だけに惑わされず、時間をかけて相手の本質を見極めることの重要性を訴えています。
結論
このエッセイは、社会に蔓延る詐欺師の巧妙さを鋭く描き、自己防衛の必要性を強調しています。「神輿になるな」「掌に転ばされるな」というタイトルはインパクトがあり、内容ともよく一致しています。詐欺師の行動を巧みに解説しつつ、読者に警戒心を促すこのエッセイは、多くの人にとって有益な警告として機能するでしょう。