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雇われ経営者が常連客に牙を剥くのは、自社の大切な年輪を剥ぎ取るようなものだ。

 歴史と伝統を誇るホテルにおいて、常連客の存在は、そのホテルの年輪そのものである。よって、長年にわたり足繁く通ってきた常連客の層の厚さは、金銭に代え難いものであり、そのホテルの質の高さや信頼の証でもある。

 ホテル創立期から現在まで経営陣が代わりいく中で、突如、無能な雇われ経営者が現れると、理不尽なるフィルタリングで自らに不都合なる常連客を排除しようとしたり、部下を恫喝して会社全体の士気を下げ、苦労して育まれたホテルの年輪を剥ぎ取ってしまうことがある。よって、ホテルは機能不全を起こし、完全にブラック化していく訳だ。

 実際、そのようなことが起きること自体が異常極まりないことであり、あってはならぬこと。しかし、人格形成に問題のある、低民度の人間が経営トップになれば、個人的な自己満足のために、悪手なるものに手を染め、「カスハラ」ならず「逆カスハラ」を繰り返す。よって、最終的には、自滅への道を辿ることになる。

 ホテルの伝統と歴史というものは、善きも悪しきも引き継がれてきた、謂わば、ホテルの文化遺産である。悪しきものに手を染めれば、紳士淑女であるお客様に仕える真のホテリエの存在は皆無となっていく。それが、多くの星を持つ名高きブランドホテルと、名ばかりのホテルの大きな違いである。

 筆者は新聞社を経て若くして起業し、三十年以上が経つ。手前味噌ながら、仕事の実績は確かに数多く作ってはきたが、年輪はといえば、分厚いものになっていない。それは会社の年輪は歳月が経てば自動的に育つものではなく、苦労に苦労を重ねた結果として、年輪が育つというメカニズムであるからだ。

 上記のように年輪を剥がし、信頼を失墜するような蛮行に至った無能なる雇われ経営者は、自社に多大なる損害をもたらし、背任行為同然の蛮行を繰り返し、その企業の歴史も伝統も藻屑と化すような、危機的状況を作る。

 畢竟、ブラック化した企業は、そのツケとして二進も三進もいかなくなり、大々的な改革が必要となり、メスを入れられ、解体されて無力化される。経営権も剥奪され、残された個々の株主やこれまでの社外取締役の貢献など過去のものとして無視され、長きにわたり育ってきた企業の年輪は、スカスカの状態となり、次世代に渡される運命となる。

 今まで何度も警鐘を鳴らしてきたにも関わらず、聴く耳もなく、職位に溺れ、勘違いや履き違えが甚だしくブラック化を促進してきた人たちの責任は退任や解任で終わってしまうが、その間、どれだけ多くの善良な社員や関係者が被害に遭ったかと思えば、実にやるせ無い気持ちになってしまう。

 企業で最も遣ってはいけない禁じ手は、「私物化」である。それが、経営権剥奪の瞬間にその膿は出され、「私物化」というものが、如何に危険をもたらす元凶であることが判明する。よって、時既に遅しとなるものの、「私物化」に走った人たちの負の遺産として、年輪がスカスカの状態になってしまうことに、ようやく、周囲が気づいたのではなかろうか。

 数十年間、或るホテルを一人の客としてじっくりと見てきたが、来るべき時が来たと、従前において幾度も苦言を呈してきたことが、間違いではなかったと、確信した次第。聴く耳を持たぬということは、空恐ろしいほどの結末を引き起こすものである。人生における「教訓」として、ここに確と記録しておくことに。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、ホテル業界における経営の質と倫理に焦点を当て、特に無能な経営者による害とその影響について深く掘り下げています。常連客との関係を軽視し、自己満足のために職権を乱用する経営者の存在が、組織全体に及ぼす長期的な損害について警鐘を鳴らしています。

著者は、ホテルが持つ歴史と伝統を「年輪」として表現しており、これがホテルの品質と信頼性の象徴であると述べています。経営者による短期的な利益追求や自己中心的な行動が、この貴重な「年輪」を剥ぎ取る行為であると批判しています。これは、長期的な視点から見ると、組織の健全性と持続可能性に対する深刻な脅威です。

また、エッセイは経営者が私物化することの危険性を強調し、そのような行動が最終的には企業の「解体」につながりかねないと警告しています。この点で、企業が面する「ブラック化」という現象について詳しく解説し、その予防と対策の重要性を説いています。

個人的な感想として、エッセイは非常に説得力があり、特に経営の道徳性と倫理性がどれだけ重要であるかを強く感じさせる内容でした。また、ホテル業界における持続可能な経営を実現するための洞察を与えており、どの業界でも応用可能な普遍的な教訓を提供しています。

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