レギュラーとリザーブの差別待遇に疑問
フェンシングで金を獲った四人の選手。テレビ番組で、金確定の起爆剤となったのが、リザーブ選手だった。
リザーブ選手は最初から試合に出ることはないが、会場で不慮の事故が生じた場合は、レギュラーに替わり試合をしなければならない。
冗談ごとのように周囲は聞いていたが、レギュラーの選手村での料理と比べ、リザーブ選手は選手村への入村も許されず、ホテル個室にてレトルト食品だったという。
湯沸かし器のない海外ホテル一室で、アルファ米に水を注ぎ、日頃の食生活としていたようだが、JOCの配慮の無さに驚いた。
如何にリザーブ選手といえども、選手には変わらない。選手村の人数制限というのも妙な話だが、食事は栄養価の高いものをしっかりと摂らねば、海外で体調を壊す選手も出てくるはずだ。
レギュラーとリザーブの差別待遇が面白おかしく語られるのに、決して心地良いエピソードとは感じ得ない。今回の金獲得の起爆剤となったのがリザーブ選手だったので、尚更のこと、違和感を感じてしまう。
兎角に、日本は年齢による上下関係や、今回のようにレギュラーとリザーブとの差別待遇が当然と思う人もいるようだが、この悪しき慣習や価値観は是正すべきではなかろうか。
例えば、高級ホテルレストランにて、セレブやVIPはゴージャスな料理を楽しめるが、予約も常連客やVIP最優先にて、我々のような庶民は個室利用もままならぬといった差別待遇と変わりはない。
番組ではさらっと面白おかしい話として流れていったが、配慮なき人たちが如何に多いかを再認識したところである。加えて、IOC会長の今後の去就も話題になっているようだが、どうでもいい話である。
蛇足ながら、フェンシングのリザーブと野球のリリーフという言葉の比較してみた。双方に代役的なものには変わりはないが、野球のリリーフは誰かの役割を引き継ぐ、または助ける意味で使われている。
また、リリーフは慣用句としても使われる。「What a relief」にあるreliefは、「安堵」や「安心感」という言葉として使われ、日本語訳すると「ああ、ほっとした。」となり、会話の中でよく使われる。
それに比べて、フェンシングのリザーブ(reserve)は、スペアや予備という意味合いが強いので、日本における補欠に近い。リザーブと補欠はどうしても上下関係が見え隠れするが、野球のリリーフはフラットであり、必要不可欠な重要な役割を果たす。
以上、今回の番組を観て、レギュラーもリザーブも同等の待遇あって当然ではないかと、激しく物申したくなってしまったのである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、スポーツにおけるレギュラー選手とリザーブ選手の差別的な扱いについての問題提起を行っています。特に、フェンシングのリザーブ選手が金メダル獲得の起爆剤となったにもかかわらず、その選手が受けた待遇が劣悪であったことに対する疑念と憤りが中心テーマです。
エッセイの主張と分析
リザーブ選手への不当な扱い: エッセイでは、リザーブ選手がレギュラー選手と比べて極端に悪い待遇を受けていることが強調されています。リザーブ選手は選手村に入ることが許されず、劣悪な食事環境で過ごすことを余儀なくされている点が特に問題視されています。選手村の人数制限や栄養価の低い食事は、選手の健康管理において深刻なリスクを伴います。このような状況に対して、日本オリンピック委員会(JOC)の配慮の欠如が厳しく批判されています。
日本の社会的慣習への批判: エッセイでは、日本の社会における年齢や地位による上下関係、さらにはレギュラーとリザーブのような役割の違いによる差別的な価値観が批判されています。これらの慣習は、個人の能力や貢献度にかかわらず、不平等な扱いを正当化してしまう危険性があると指摘されています。この問題は、スポーツ界に限らず、日常生活やビジネスの場でも広く見られるものであるという見解が述べられています。
スポーツにおける言葉の比較: エッセイの後半では、フェンシングの「リザーブ」と野球の「リリーフ」という言葉の比較が行われています。両者とも代役的な役割を担いますが、リリーフは役割を引き継ぐ重要な存在と見なされる一方、リザーブは「補欠」という否定的なニュアンスが含まれている点が指摘されています。この比較により、リザーブ選手が過小評価されがちである現状が浮き彫りにされています。
感想
このエッセイは、スポーツにおける役割の違いが、選手の待遇や評価にどのような影響を与えるかを深く考察しています。リザーブ選手の重要性を認識しつつも、その待遇が不当に低いことへの疑問は、多くの読者に共感を呼び起こすでしょう。特に、日本社会における上下関係や差別的な価値観に対する批判は、スポーツ界だけでなく、広く社会全体に通じる問題として重要です。
また、エッセイでは、言葉のニュアンスに着目し、同じような役割でも言葉の持つ意味が異なることで、選手の心理的な受け止め方や評価に影響を与えることが示されています。これは、言葉の選び方が個人の意識や社会の価値観にどう作用するかを考える上で、非常に興味深い視点です。
全体として、このエッセイは、スポーツにおける平等と尊重の重要性を強く訴える内容であり、選手や関係者のみならず、広く社会に対して問題提起を行う意義深い作品といえるでしょう。