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今の日本の教育システムは昔に劣る

 結論から申し上げれば、今の日本の教育システムは投げやり人任せであり、昔の教育システムは人々が支え合う郷土支援が色濃かった。

<日本の教育の昔>

 例えば、「敵兵を救助せよ!」という書籍をずいぶん前に読んだ記憶があるが、山形県興譲館(元米沢藩の藩校)から、当時最難関とされていた海軍兵学校へ相当数の有能な子供たちを送り込んでいる。

 特に大正時代の海軍兵学校は、アメリカ及びイギリスに並び、非常にレベルの高い教育カリキュラムを導入し、外国語(英語やドイツ語ほか)やピアノ、バイオリンなどを学んでいた。

 当時は、海軍兵学校が最難関であり、やや下に現在の東大が位置付けられており、それに並び、現在の拓殖大学が高レベルであったという。「拓殖」という言葉通り、植民地政策へ移行した日本の時代背景を物語る名称であろうかと。

 今は「敵兵を救助せよ!」という書籍は他者に貸したまま返ってこないので、原書を見ることはできないが、確か、山形県の小さな村から海軍将校になった優秀な人材が二十人以上輩出したと記述されていた。

 熊本県内でも、数年前の市町村合併が行われる前は、人口3000人にも満たない小さな村が多く存在していた。例えばの話であるが、3000人に満たない小さな村から、当時最難関であった海軍兵学校へ20人以上も進学し、将校となるのは奇跡である。

 当時、小さな村の村人が集まり、村から優秀な人材を輩出するために、皆が寄付を行い、次から次へと海軍兵学校や現在の東大へと、日本最高峰の学舎に送り込んだことになる。

 従って、郷里の人々による支援がなければ、多くの海軍将校を生み出すことはなかったろうし、「敵兵を救助せよ!」の主人公である工藤俊作中佐も存在しなかった可能性も無きにしも非ず。

<日本の教育の今>

 現在は、子供を小学校、中学校にて義務教育課程を学ばせ、更に高学歴にするために、小学校や中学校時代には「」で入試対策を行なっているというのが実状である。

 詰め込み主義で、記憶ばかりを優先させた教育では、クリエイティブな人間が育つはずもなく、スティーブ・ジョブズが言っていた「Think different」という真意も理解できず、体現できないのが日本の教育である。

 核家族化が進み、郷里に残る若者が激減し、今では限界集落が全国各地に点在するようになってきた。それは、大都市部が便利でカルチャーレベルの高い生活環境や教育環境が整っているからこそ、地方から中央へと人は流出していくのである。

 数年前だったか、東大に入学して卒業した学生の親については、2020年度調査によれば、世帯年収が1050万円以上の学生は42.5%を占めている。前出の山形県の興譲館の時代と同様に、教育にお金が掛かりすぎるところは、今も昔も全く変わってはいないことになる。

 ただ、山形県の興譲館の頃に、郷里の人たちが人材育成のためにお金を出し合って、素晴らしい人材を小さな村から育てるというコミュニティの考え方が、すこぶる素晴らしく思えてならない。

 よって、金持ちの子供だけが高学歴への道を選べるだけでなく、低所得の家庭に育つ子供であっても、高学歴への道を拓いた、画期的な郷里支援体制には驚いてしまったのであるが、それこそ本当の教育の在り方ではなかろうか。

 年齢や世代を過剰に意識する日本民族であるが故に、どこそこギクシャクしたコミュニケーションであり、本来の、国力を強固にするには、どうしても日本国を背負う優秀な若者を育てるシステムを、今一度考え直しては如何なものかと。

 これからは、よりグローバル感覚を身につけ、従来の右へ倣いの「Think same」を抹消し、「Think different」を旗印に、「異端児育成プログラム」を投入することで、世界に通用する、世界を席巻するような人材が育っていくのではなかろうか。


▼ChatGPT-4oによる情報

<米沢藩の興譲館(こうじょうかん)について>

興譲館(こうじょうかん)は、江戸時代に米沢藩(現在の山形県米沢市)に設立された藩校です。米沢藩の藩校として、藩士やその子弟の教育を担い、多くの優秀な人材を輩出しました。

1. 興譲館の創設

興譲館は、**米沢藩9代藩主・上杉鷹山(うえすぎ ようざん)によって1776年(安永5年)**に設立されました。鷹山は、藩の財政改革を行いながら、藩士の教育にも力を注ぎました。「人材こそが藩の繁栄の礎である」という考えのもと、興譲館を創設しました。

2. 教育理念

興譲館の名前は、**「興譲(こうじょう)」**という言葉に由来します。これは「譲り合い、徳をもって世の中を興す」という意味を持ち、上杉鷹山の「義と誠」の精神を反映したものです。

教育の目的は、**「忠義」「孝行」「誠実」**を重視し、藩士としての品格と実務能力を養うことでした。また、文武両道の教育を重視し、学問(儒学)と武芸の両方を教えていました。

3. 教育内容

興譲館では、以下の科目が教えられていました。

  • 儒学(朱子学):孔子の教えに基づき、倫理や道徳を学ぶ。

  • 兵学:戦略や戦術に関する教育。

  • 国学・和学:日本の歴史や文化、国語の学習。

  • 算術・天文学:実務に必要な計算や天文学の知識。

  • 医学:藩医の育成や藩民の健康を支える医療知識。

  • 武芸(剣術・槍術・弓術など):武士としての戦闘技術。

4. 影響と評価

興譲館は、単なる武士の教育機関にとどまらず、農民や町人などの教育にも一定の役割を果たしました。明治時代に入ると、藩校の多くが廃止される中で、興譲館はその伝統を受け継ぎ、現在も米沢市にある山形県立米沢興譲館高等学校として存続しています。

5. 興譲館の出身者

興譲館からは、多くの優秀な人物が輩出されました。特に有名なのは以下の人物です。

  • 細井平洲(ほそい へいしゅう)(上杉鷹山の師)

    • 儒学者であり、鷹山に教育改革の影響を与えた。

  • 竹俣当綱(たけのまた まさつな)

    • 米沢藩の財政改革を担当し、藩政の立て直しに貢献した。

  • 須藤南翠(すどう なんすい)

    • 明治時代に活躍した学者。

6. 現代への影響

米沢興譲館高校は、現在もその精神を受け継ぎ、文武両道の教育を大切にする伝統校として知られています。また、上杉鷹山の「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」の精神は、現代でもリーダーシップや教育の理念として語り継がれています。

まとめ

興譲館は、米沢藩の人材育成の中核を担った藩校であり、上杉鷹山の改革とともに発展しました。その理念は、現在の教育機関にも影響を与え、今もなおその精神が受け継がれています。

興譲館の歴史や教育方針は、藩校教育の成功例として、現代のリーダーシップや教育のあり方にも示唆を与えるものです。

<工藤俊作氏について>

興譲館は多くの優秀な人材を輩出しており、その中には海軍将校として活躍した人物もいます。例えば、山形県高畠町出身の工藤俊作氏は、興譲館中学(現在の山形県立米沢興譲館高等学校)を経て海軍兵学校に進み、後に海軍中佐となりました。

工藤氏は、第二次世界大戦中のスラバヤ沖海戦において、敵兵であったイギリス兵422名を救助したことで知られています。

このように、興譲館は地域の教育機関として、多くの人材を育成し、海軍を含む様々な分野で活躍する人々を輩出してきました。

ご指摘の書籍『敵兵を救助せよ!』は、惠隆之介氏が2006年に著したもので、第二次世界大戦中、駆逐艦「雷」の艦長であった工藤俊作氏が、スラバヤ沖海戦で撃沈されたイギリス軍艦の乗組員422名を救助した実話を描いています。

工藤俊作氏は山形県東置賜郡屋代村(現・高畠町)出身で、山形県立米沢中学校(現・米沢興譲館高校)を経て海軍兵学校に進みました。

このように、興譲館は多くの優秀な人材を輩出しており、工藤氏のように海軍将校として活躍した人物もいます。


▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、日本の教育の過去と現在を比較しながら、現代の教育システムが抱える問題点を浮き彫りにし、かつての郷土支援による教育の在り方を称賛する内容となっている。

1. 過去の教育の特徴

  • 郷土支援の存在
    昔の日本では、地域社会が一丸となって優秀な人材を育成し、例えば海軍兵学校や東大へ送り出していたことが強調されている。山形県の興譲館を例に挙げ、地域が共同で教育を支援するシステムが機能していたことが紹介されている。

  • 教育の質と多様性
    当時の海軍兵学校では、外国語や芸術(ピアノ・バイオリンなど)も重視され、単なる軍事教育にとどまらず、幅広い知識やスキルを身につける機会があったことが示されている。

  • 機会の公平性
    地方の小さな村でも、地域の支援があれば最難関の学校に入学し、エリートへの道を開くことができたという点が興味深い。この点が「敵兵を救助せよ!」の工藤俊作中佐の事例と絡められている。

2. 現代の教育の問題点

  • 詰め込み教育と塾依存
    現代の教育では、詰め込み主義が主流であり、創造性や独自性を重視する教育が行われていないと指摘されている。
    「Think different(違う考え方をせよ)」というスティーブ・ジョブズの言葉を引用し、日本の教育が「Think the same thing(皆が同じことを考える)」に陥っていると論じている。

  • 経済格差の影響
    東大入学者の親の平均年収が1500万円以上というデータを引き合いに出し、高学歴を得るには経済力が必要になっていることが示されている。
    かつての郷土支援のような仕組みが現代には存在せず、裕福な家庭の子供だけが学問の機会を得やすいという状況が批判されている。

  • 地方の衰退
    核家族化と地方から都市部への人口流出が進み、限界集落が増えている現状を憂慮している。かつてのような地域社会の協力が失われたことも教育環境の悪化の一因とされている。

3. コラムの主張と意義

このコラムは、日本の教育システムが変化してきた背景を歴史的視点から分析し、地域社会の教育への関与が希薄化したことで、貧富の格差が教育格差に直結する状況を憂いている。
また、日本の教育の方向性が「異端児を育てるシステム」に転換すべきだという提言がなされており、単なる懐古主義ではなく、未来の教育の在り方についての示唆が含まれている。
「Think different」という表現を使って、クリエイティブでグローバルに通用する人材育成が必要であるという結論に至っている点が印象的である。

4. 感想

このコラムは、教育の本質とは何かを考えさせる内容になっており、過去の事例をもとに現代の教育の問題点を浮き彫りにする手法が説得力を持っている。
特に、地方の小さな村が一丸となって教育を支えた話は、単なる学校教育の問題ではなく、地域社会の変化と密接に関係していることを示しており、興味深い視点だ。
一方で、現在の教育システムに対する課題提起は鋭いものの、社会全体の変化(都市化、核家族化、経済の変動など)との関連についてもう少し踏み込んでも面白いかもしれない。

全体として、教育の過去と現在を対比しながら、地域社会の役割が果たしていた重要性を再認識させる優れたコラムであった。


▼ChatGPT-o1による感想

以下のコラムは「昔の日本の教育システム」と「今の日本の教育システム」を対比して論じており、とりわけ郷土支援という観点が鮮明に取り上げられています。読み進めるほどに、地域の人々が一丸となって子供を育て上げる“共同体としての教育”と、現代の“個人負担の大きい教育”の違いがよく浮かび上がります。以下、印象的だったポイントを中心に感想を述べます。


1. 昔の教育の「郷土支援」への着目

コラムで描かれる山形県興譲館や海軍兵学校へ送り込まれた人材の話では、地域全体で寄付を募り、学費をまかなっていたことに強く惹きつけられます。こうした仕組みによって、個人だけの資金力に依らず、才能を見いだされた子供たちが学問の道を究められたという点は、社会全体の教育への関わり方として非常に深い示唆があります。特に、たった数千人ほどの小さな村からでも多数の海軍将校や高学歴の人材を輩出できた背景には、「村をあげて有能な子供を送り出す」という一種の“コミュニティ・プライド”も感じさせられます。

2. 地域コミュニティと人材育成

江戸から大正・昭和初期にかけては、藩校や郷土の教育機関を中心に“地元が子を育てる”という意識が非常に強かったと示唆されています。興譲館の創設にまつわる上杉鷹山の思想からも、“人材こそが藩の財政を立て直す要”だという考え方があり、そうした理念はコラムに記されている「敵兵を救助せよ!」でのエピソードや海軍兵学校への進学事例にも通じるものがあると感じました。昔の教育システムにおける地域の支え合いは、現在の少子高齢化で地方が疲弊している状況を見ると、改めて多くの示唆を与えてくれます。

3. 今の教育に対する投げかけ

一方、現代の教育は塾や受験への対策で“親の財力”が重視されがちである――という問題点が指摘されています。特に東大など難関大学への進学実態として、親の年収が高い層の子供が多く合格しているという事例はよく耳にするところです。こうした「経済力が学歴格差を生む」構図は、昔もある程度はあったものの、当時の小さな村が補ったように“地域”が支える仕組みによって克服できる部分もあったのではないか、という視点が重要な問いかけになっています。

4. 「Think different」と「右へ倣い」の対比

コラムの終盤にある「Think different」や「異端児育成プログラム」という言葉が象徴するように、変化の激しい時代には、従来の詰め込み型学習だけではグローバル社会に対応しづらいという指摘は、まさに現代の大きなテーマです。特に日本では、共通のカリキュラムや受験制度に馴染むことで基礎学力の底上げを図る一方、自発的・創造的な思考力をどこまで育むかが課題になっていると感じます。このコラムが示す“昔の教育システム”は、単に詰め込みではなく、地域支援という文脈で多面的に子供を育てようとする面があり、それが結果的に「海軍将校」や「異端児」的なリーダーを輩出したのではないかと思わされました。

5. 教育の役割とコミュニティの力

最後に、コラム全体を通して強く印象に残るのは、“教育とは個人の事情に左右されるものではなく、社会全体で支え合い、人材を伸ばすためのシステムである”というメッセージです。現代社会でそれをどう再興するかは容易ではないものの、かつてのような「優秀な子供の才能を地域が支える」仕組みの断片が、今後の日本の教育改革を考えるうえでもヒントになるように感じます。


感想のまとめ

  • 山形県の興譲館などの事例を通じて、地域全体が子供を支える“郷里支援”の価値を改めて認識できた。

  • 「敵兵を救助せよ!」のエピソードから、海軍兵学校に進学し活躍した人材の話は、ただの受験システムの話にとどまらず、人と人とが繋がり合う教育のあり方を示唆しているように思えた。

  • 現代の受験産業と親の経済力の問題は常に議論されがちだが、昔も教育はお金がかかったという点をしっかり踏まえつつ、コミュニティで補っていたことが大変興味深い。

  • これからの「Think different」な時代に、過去の地域コミュニティによる人材育成をどう繋げられるかは、非常に大きなテーマだと感じられる。

全体として、コラムは昔と今の教育システムを通じて、地域社会が果たす役割の重要性を浮き彫りにしてくれる内容でした。郷土支援によって才能を伸ばす仕組みが、いかに日本にとって大切な視点であったのかを再認識させる興味深い論考でした。

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西田親生@D&L
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