ChatGPTに全部記事を書かせる???(2)
人工知能を過信してはならない。まだ進化の途中でもあり、言語により、または、ディープラーニングの度合いやバージョンにより、全く異なる見解や嘘の情報が混在している場合もあり、ディープラーニング以降の最新情報については疎いことも把握しておかねばならない。
よって、過去の事例の時系列分析や、行政文書などの大量処理など大の得意である人工知能であるものの、100%正しいかと問えば、否である。
人工知能、特に、text to textの場合は、確と裏付けが取れているのか、論拠に疑わしき点はないか、フェイクニュースをそのまま鵜呑みにしていないかなど、再検証するという確認作業は人間の役割となる。
それを頭からそのままコピペでは、非常に危ない活用法でもあり、また、価値なき大量のテキストが心無き利用者から発信されていく。それを考えると、背筋がぞくっとするほどの勘違い、履き違えとしか言いようがない。
人工知能に依存して、今までの自分が苦手とする分野だったのが、人工知能のアシストにより、いつの間にかエキスパートになれると思い込むところが稚拙極まりない。
いくら高精度の人工知能を目の前のパソコンに導入しようが、その人の能力が急激にアップするはずもなく、現実は、今のあなたの実力であることに変わりはないのである。
ただ、人工知能から正確なサジェッションを確認し、自らの思考回路で抜けているところに気づき、改善を日々怠ることなくしている人は、気付かぬ内に、これまでの自分とは比較にならぬほど、素晴らしい論理思考が備わる可能性は高くなる。
畢竟、人工知能の使い方次第では、人工知能が利用者をより馬鹿にしたり、より利口にするのが現状であり、言葉は適切ではないけれども、実に滑稽な現象であると言える。
▼ChatGPT-o1による感想
このエッセイは、「ChatGPTなどの生成系AIを過度に過信することへの警鐘」を主眼に書かれています。筆者は、AI(とりわけtext to text型の人工知能)を活用する上での注意点や、そこに潜む危うさを論じており、一方でAIを上手く使いこなすことで生まれる可能性にも触れています。以下では、主な論点を整理しながら、詳しく感想を述べてみます。
1. AIの精度と「鵜呑み」の危うさ
エッセイ前半では、「AIを盲信することに対する危険性」を強調しています。ディープラーニングの途中経過やバージョンの違い、さらには最新の情報を十分に学習していないAIも存在し、「間違った情報」や「過去のデータの偏った抽出」に基づいて回答するリスクがあると指摘しています。
感想: 実際、ChatGPTをはじめとする生成AIが提供する回答には誤情報が含まれたり、出典が曖昧だったりするケースがあり、人間が検証せずにコピペすると「フェイクニュース拡散」の大きな要因にもなり得ます。筆者の言う通り、生成AIの回答が“神託”のように完全に正しいわけではなく、常に「裏付けが取れているか」を再確認する必要があります。これはAI社会時代の基本リテラシーとして非常に重要だと感じます。
2. 大量処理能力の利点と落とし穴
AIが得意とするものとして「大量のデータ処理」が挙げられています。一方で、結論として「100%の正確さ」を求めるのは難しく、過去事例を参照する能力に長けていても、最新情報や文脈によっては誤った回答をする可能性があると警鐘を鳴らしています。
感想: 行政文書の読解や大量データの分析など、AIが圧倒的な速度で作業をこなせる点は大きな魅力です。しかし、人間の文脈理解力や、あるいは「微妙なニュアンスを見極める力」にはまだまだAIも及んでいない部分があるでしょう。過去事例の羅列から“現在に活かせる知見”を導くには人間の分析力が必要という主張は妥当だと思います。
3. AI依存の本質的な問題点
エッセイ後半では、「AIに依存した結果、自らの能力が向上するわけではない」ことをはっきりと説いています。AIの助言が的を射ていたとしても、利用者自身が自ら思考を深める努力をしなければ、「いつまで経ってもAIに使われる立場にしかなれない」と戒めています。
感想: ここがこのエッセイの真髄と言えそうです。AIを活用すると、一見「文章がそれっぽく整う」「専門的な内容を構築しやすい」ように思えるかもしれませんが、筆者は「それはあくまで表面だけであり、自分自身の思考力を伸ばすものとは違う」という点を強調しています。AIによって一時的に能力が補われても、学習し、思考し、知識をアップデートしていく主体はあくまで人間自身なのだ、と再認識させられます。
4. AIを「学習支援ツール」として活用する意義
一方でエッセイには、AIが人間の「気づき」を促したり、自分の弱点を補うツールになり得るというポジティブな面も示唆されています。
感想: AIを「お手軽に答えを出してくれる神様のような存在」と捉えるのではなく、「自分にとって抜け落ちている部分を補完し、思考のきっかけをくれる存在」として捉えれば、実は非常に頼りになるツールでもあるという考え方は理にかなっています。筆者が「利用者が日々改善を怠らなければ、思考力や論理力が大幅に向上するかもしれない」と語っている部分は、AI活用の理想形を示しているようにも思えます。
5. 人間が「検証と活用」を行う大切さ
「AIが馬鹿にするか、利口にするかは使い方次第」という締めくくりに、AIを使う者自身の姿勢が問われています。
感想: ここで用いられている「滑稽な現象」という言葉は多少刺激的ですが、その分、「AIの活用がいかに人間側の責任や態度にかかっているか」を強い口調で訴えているように感じます。結局、使い方が誤っていれば誤解や虚偽情報の拡散を招き、自分自身の価値を下げることにつながりかねない。一方で、上手く活用できれば、今まで見えなかった世界や知識の扉を開く大きなチャンスをもたらす、と言えます。
総合的な感想
このエッセイが伝えたいメッセージは、AIが与えてくれるメリットとリスクの“両側面”を正しく理解し、主体的に検証しようという態度を持つことの重要性です。特に、「AIを使えば、急に自分が有能になれるわけではない」という自戒は、今後AIがますます高度化していく時代においても変わらず肝に銘じるべきことでしょう。
また、筆者が言うように、人間はAIを使いこなす中で、ただお手軽に答えを得るのではなく、それをきっかけに**「自分なりの思考・検証を深める学習プロセス」**へ移行すれば、結果的に思考力や分析力が高まっていきます。これは、読者にとって「AIとの共生」に向けた正しい認識と心構えを学べるエッセイになっていると感じました。
総じて、「無条件にAIを信用せず、必要な裏付けや論拠を取りながら活用していくことの大切さ」を具体的に説明しており、生成AIの可能性と危うさを一貫してバランスよく論じている点が印象的な文章でした。