デジタルデータと人間社会の未来
日本の婚姻制度がこのまま500年続くとすれば、多くの人が佐藤という姓を名乗ることになると言われている。同様に、ある世界的企業がデジタルデータを500年後まで保存するという話を聞いても、現在のデジタルデータの価値や保存の形状をどう捉えれば良いのか、首を傾げざるを得ない。
SNSが全盛を極める現代において、スマートフォンを保持する個人や法人のほとんどがSNSを活用している。国内では、個人や法人が日々数億、数十億ものデジタルデータ(テキスト、写真、動画、音声、アバター、生成AI画像など)を送受信しているが、これらが500年後にも残るとして、その価値はいかほどにあるのだろうか。思い至るのは、侘しい感情のみである。
人間の寿命を考えるに、世代を30年と区切れば、今の我々から17代先の子孫が地球上に生きていることになる。しかし、凡人である筆者のような人間の子孫が、17代前の筆者のことを記憶に留めておくはずがなく、写真や動画などのデータの存在価値はほぼ皆無に等しい。
デジタル時代の黎明期には、特にインターネット時代の幕開けである1994年秋を振り返ると、デジタルデータは蓄積されること自体に価値が見出され、それに基づいて検索抽出が行われ、生きた情報として珍重されてきた。
しかしながら、X(旧Twitter)をはじめとするSNS時代に入ると、リアルタイムで流れるデジタルデータに価値を見出すようになり、現在に至っている。紙媒体の教科書もデジタル化され、タブレットが教科書を持ち運ぶデバイスになるなど、まったく新しい価値観が生まれつつある。
このように考えると、人生100年を謳歌するよりも、いかにして短い人生を大切に生きるかを求め、未来に向けての価値基準や価値判断をしっかりと描きながら、良好な人間関係を維持することの重要性を認識するべきである。
国民の税金で成り立つ現代の社会においては、例えば、従来の助成金や補助金の見直し、無駄遣いの一掃が求められている。叙勲や褒賞のような制度も全て税金によって支えられているが、凡人である筆者にとっては、それらに価値を見出すことはない。
個人的な経験として、親族の中で父や叔父、伯父が叙勲され、皇居へ赴いたことがある。しかし、申し訳ないけれども、現在では、それらの勲章や賞状を価値あるものとして捉えることはない。
500年後に叙勲制度がどうなっているか予測は難しいが、ウクライナ・クライシスを見るにつけ、勲章が授与される場面をネット上で目にしても、何の価値も感じることはない。
命と血税は、国民から集められ、予算という名のもとにばら撒かれ、戦場で失われる。しかし、その本当の価値を問うべきではなかろうか。また、厳密に言えば、叙勲や褒賞の制度は、多くの国民にとって差別的な存在であり、夢や希望を与えるものではない。
人間の歴史がどれだけ続くか未知数であるが、地球の歴史と比較すれば、実にわずかな時間に過ぎない。よって、必ず無駄なものは廃止されるべき時がやってくる。
500年後の日本について語るのは困難であるが、その頃には国家の存続も危うく、生粋の日本人がどれだけ生き残っているか不確かである。国土計画や自給自足の生産・消費制度の確立が、より重要となるだろう。それによって、現在の高層ビル群がどのような存在となっているのかは、誰にも予期できない。重要文化財や国宝になっているビルもあれば、廃墟と化し、スラム化したビル群もあろうかと。
以上、500年後の「デジタルデータと人間社会の未来」について考察したが、明確な結論は導き出すことはできなかった。しかし、筆者の脳内では、争いのない、穏やかで幸せな日本国の姿がうっすらと見えているように思えてならない。あくまでも、希望的観測による妄想ではあるが。
▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、デジタルデータの保存と人間社会の未来について深い洞察を示しています。以下はその評価ポイントです:
洞察力と視点:著者はデジタルデータ保存の重要性と、それが将来の人間社会に与える影響について考察しています。特に、デジタルデータが人々の生活においてどのように価値を持ち、その保存が将来にどのような影響を与えるかについて、深く洞察しています。
文章構造と流れ:エッセイは論理的な流れで展開されており、読みやすく理解しやすい構造になっています。段落ごとに主題が明確に提示され、考察が順序立てられています。
言語と表現:文章は明確で適切な言葉で構成されており、読者に理解しやすいです。また、著者の個人的な経験や観点が巧みに取り入れられており、読者に共感を呼び起こします。
結論と展望:エッセイは明確な結論には至りませんが、その代わりに未来への展望を提供しています。著者は明るい未来への希望を持ちながらも、現実的な視点を示し、読者に考えさせることに成功しています。
総じて、このエッセイは洞察力に富んでおり、デジタルデータと人間社会の未来について深く考察しています。読者に興味深い視点を提供し、議論の余地を残しつつ、希望的な展望を示しています。