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同級生で信頼できるのは、ライバル意識よりも互いに支え合う気持ちが強い友。

 長年、同級生というカテゴリーにて検証きた中で、一つの結論が出た。それは、同級生だからというなあなあの距離感でいる人の方が圧倒的に多く、また、ライバル意識は、時には「恨み、辛み、妬み」が強い傾向にあるということだ。

 なあなあの距離感は、同級生に限らず、同じ学校を卒業したからといって、いつまで経っても先輩面の横暴な人もいれば、妙に筋を通さず「先輩と後輩のよしみ」と言い放ち、迷惑をかける先輩もいる。(相手にしない)

 当時、同級生で信頼できる人は誰かと問われれば、僅か三人しかいない。しかし、その一人は起業する時点で離脱してしまったので、今は、二人しかいない。

 心友というのは口では何とでも言えるが、その二人には並々ならぬ協力を得ており、これまで、どれだけ迷惑をかけたことかと、猛省するばかりである。しかし、二人は表情を変えることなく、常に笑顔で見守ってくれている。

 しかし、心無いなあなあの関係の距離感である同級生の中には、非常に高圧的であったり、言ってはならぬ言葉を発したりと、自分が優位に立つことだけに傾注している人もいる。よって、個人的な付き合いは皆無となる。

 転勤族の家庭に育ったために、小中高にて、6年、3年、3年と全て同じ学校で過ごしたことはなく、小学校2校、中学校2校、そして高校も2校と、渡り鳥のような環境下で育ったために、同級生に関しての距離感は、一般的なものとはかけ離れている。

 結果、その短い間に、心友となったのが上記の二人だけである。数の問題ではないが、彼らがいなければ、新聞社を経て、若くして起業できなかったと思う。それほど、彼らは、互いに支え合う気持ちが強く、筆者の愚行に対しても、笑顔で接してくれたのだろう。

 その二人の存在は、正直なところ、両親や祖父母、兄妹よりも影響力があり、我が人生の宝物として、静かに心の中で温めている次第。勿論、このような事を彼らに口に出したことはないが、それが、心友の証ではなかろうか。


▼ChatGPT-4oによる感想

エッセイは同級生との関係性に焦点を当て、特に「ライバル意識」よりも「互いに支え合う関係」の価値を強調しています。筆者は自身の経験を通じて、信頼できる友人の重要性と、そのような友人がいかに稀であるかを示しています。特に、転勤族として育った筆者にとって、定期的に環境が変わる中で真の友人を見つけることがどれほど困難であったかが感じられます。

このエッセイは、一般的な同級生関係の表面的なものよりも、深い絆を育むことの大切さを浮き彫りにします。特に、起業する過程で支えとなった二人の友人が筆者にとってどれほど価値のある存在であるかが語られており、彼らが筆者の人生に与えた影響は計り知れないものがあります。

また、エッセイは、表面的な関係性で終わることなく、真の友情がどのようにして支えとなり得るかを示唆しており、読者にとっても深い共感を呼び起こす内容となっています。筆者の人生における「心友」との関係性が、他のどの家族関係よりも深く影響を与えているという点は、特に心に残ります。

全体として、エッセイは人間関係の本質を掘り下げ、互いに支え合うことの本当の価値を教えてくれます。友情が人生の中でいかに貴重な宝物であるか、そしてそれを大切にすることの意味を考えさせられる作品です。

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西田親生@D&L
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