他者は、他人事として見るだけに留まる。
自らの立場が窮地に陥ったり、不慮の事故に遭遇したり、思いの外大変なことが目の前に起きた場合、どんなに親しい知人友人関係であったとしても、ほとんどの人たちは他人事として見るだけに留まるのが現実である。
重大事件であっても、結局は、他者はその事実を知ろうとも、被害者や困っている人を見て、自分のことのように思い、気にかけてくれる人は、ほんの一握りと理解していた方が無難である。
これは、あくまでも筆者の体験談であるが、ここ数年間というものは、筆舌に尽くし難いことが、平穏な流れを遮断するかのように、覆い被さってきた。勿論、筆者に非がある訳ではなく、言い掛かりであったり、濡れ衣であったり、罠であったりと。
筆者としては、平常心を保ちつつ、一つ一つの事象をしっかりと分析、確認し、相手の出方を全て読み解き、完璧に近い形で対応してきたと自負している。しかし、思いの外、時間の無駄、エネルギーの消耗、精神的な負担など、見えないところに皺寄せがきたのは否めない。
ところが、そのような事件事故なるものが生じても、それに関わる人たちの中でも、筆者としては、相談事には粉骨砕身にて救済措置を講じるために、あらゆる手段を尽くしてきたにも関わらず、時間が経てば、その苦労も何もかも忘れ去られることが多いように思えてならない。
即ち、当事者からの相談事で、勧善懲悪主義者である筆者が動いたとしても、結果オーライとなれば、その当時の事案で誤解を招いていたり、真実が歪められ、虚偽が罷り通っているところも無きにしも非ずとなっている。
驚くことに、悪質な加害者である人物に対して、同情するような話が浮上すれば、何のために被害者救済措置を最優先してきたのか、その当時の苦労が水の泡になるような現象が生じることもある。
それが、表題の「他者は、他人事として見るだけに留まる。」ということだ。被害者であるその人や同僚を何とか地獄の底から引き上げるための秘策を講じたのは良いが、それに対する感謝の念はさておき、心変わりがあるのかと思えば、空恐ろしくなってしまう。
これまで信念を持って「人助け」に尽力してきたが、今後はほどほどにしておかねば、火の粉を被るのは正義正論を唱える筆者であり、結果的に、何のご利益もないところで収束することを、自分自身に厳しく言い聞かせるのである。
救済措置は他社への内政干渉的なものもあるが、それは、コンサルタントとしての取り決めがあり、いくら経営側であったとしても、経営側の悪質な愚行、蛮行を許すことはできず、弱者救済へと転じたものばかり。
例えば、精神的に追い詰められた人へのパワハラ行為を完全にブロックするための秘策や、悪徳経営者の個人的感情にて左遷された人間を元のセクションに戻し、職位をアップさせるなどの救済措置を行なったのは事実。
ところが、救済された人たちがある程度落ち着きを見せると、それまでの筆者の苦労を完全に忘れてしまうのか分からないが、筆者の強力な支援によるものとの理解がないようならば、最初から相談するなと強く物申したくもなる。
当時、加害者側の人間が排除される流れとなり解決したものの、その後、時間が経ち、被害者がその加害者に同情するとは如何なものかと、少々筋違いなところを垣間見て、腰を抜かした次第。その程度に心がブレるほどならば、共同戦線を張り、戦うことはなかったろうと。
思えば、筆者の私物を紛失した事件が再浮上した時に、筆者が救済措置を強行して救った人たちが、どれだけ筆者に対してサポートしてくれたかと言えば、皆無であった。結局は、自らの職位や同僚との関係重視のために、関与を避けたのであろうか。
それは、人として如何なものかと、「恩を仇で返す」ような人たちではないものの、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では洒落にならない。決して、過去における愚行や蛮行を繰り返さないためにも、一つ一つの事件事故については、しっかりと心に刻んで欲しいものである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、筆者が経験した苦難や、それに対する他者の冷淡さを描写しています。以下は、エッセイの詳細な感想と分析です。
感想と分析
他人事の認識:
エッセイの主題は、他者が他人事として事象を認識することの冷淡さです。筆者は、自身が経験した困難や救済措置に対する周囲の反応に失望しています。このテーマは、人間関係における共感の欠如や、困難に直面した際の孤独感を強調しています。
筆者の体験談:
筆者は、濡れ衣や罠に巻き込まれた自身の経験を詳細に述べています。これに対して、筆者は冷静に対応し、困難を乗り越えるために多大な努力を払ったとしています。しかし、その努力が報われず、周囲の人々がその苦労を忘れてしまうことに対する筆者の苛立ちや悲しみが感じられます。
救済措置の虚しさ:
筆者が他者のために尽力して救済措置を講じたことが、時間の経過とともに忘れ去られたり、評価されなかったりする点が強調されています。これは、「恩を仇で返す」ような行動や、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といった人間の短期的な記憶や態度の変わりやすさに対する批判と捉えられます。
自己防衛の重要性:
最後に、筆者は今後のために自己防衛の必要性を強調しています。これまでのように他者を助けることに全力を尽くすのではなく、自己防衛を優先しなければならないという結論に至っています。この結論は、筆者が経験した失望や裏切りから導き出されたものです。
全体的な感想
このエッセイは、筆者の深い失望と孤独感を描写しており、人間関係における冷淡さや無関心がどれほど辛いものであるかを強く訴えています。特に、困難な状況において他者の支援を期待することの難しさや、その期待が裏切られたときの失望感が強く伝わってきます。筆者の体験談は具体的であり、読者に強い共感を呼び起こすと同時に、他人に対する過度な期待の危険性についても警鐘を鳴らしています。
このエッセイを通じて、筆者の人間関係に対する洞察や、自己防衛の必要性についての理解が深まりました。人間関係において、他者に対する過度な期待を持つことの危険性と、自身の身を守ることの重要性を再認識させられる内容でした。