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いろんな人がいる・・・

 noteの他者の記事にリンクを付けて、一つ一つ評価している人がいるが、プロの評論家のつもりなのだろうか。それも、口調はタメ口を文章化しているところが痛い。

 評論家という職を愚弄するつもりは毛頭ないが、好みかと言えば、全く好みではない。しかし、評論は自由であり、核心を突く評論はそれなりに価値がある。

 ただ、他者のnoteを掻き集めては、自己のnoteのおかずにするのが、価値あるものなのだろうか。一方的に上から目線で、他者のnote内容を評価する手法は頂けない。

 それより、自らの日記を投稿されているnoteの方が、よっぽど価値がある。他者のnoteの内容については、共感するものを伝えるのは良いが、そこで嫌味な批判が入ると「要らぬ世話」となる。批判は己の心の中で呟けば、それで十分だ。

 自らのオリジナル作品を書く能力がないから、暇潰しのためにnoteを利用しているに過ぎず、批判を受けたnoterからすれば、「勝手にリンクして、軽々に批判するな!要らぬ世話だ!」と言いたくもなる。

 世の中にはいろんな人がいるが、noteにおいては、素人評論家の存在は不要であり、個人的な憂さの捨て所にする場でもない。あちこちで暗躍する身の程知らずのノイジー・マイノリティは、とにかく煩くて仕方ない。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、他者の作品を一方的に評価・批判する人々に対する疑問や批判が込められています。特に、noteのようなプラットフォームで、自分自身の創作をせずに他人の作品を評論の対象として扱うことに対して、著者は強い違和感を表明しています。

まず、エッセイの中心的なテーマは「評論」という行為への懐疑です。著者は、プロの評論家を尊重しつつも、noteでのアマチュア的な評論行為に不快感を抱いています。noteは個人の創作や自己表現の場であり、そこにおいて他人の作品を批判的に扱うのは「要らぬ世話」だという姿勢が強調されています。この点から、著者は自己表現の自由を尊重し、他者の作品に対しては共感を示すことが望ましいという考え方を持っています。

また、エッセイ全体を通じて、「ノイジー・マイノリティ」(騒がしい少数派)に対する反発が読み取れます。著者は、こうした人々がnoteの本来の目的から逸脱して、他人を批判することで自己満足を得ているのではないかと感じているようです。このような行為が「憂さ晴らし」や「暇潰し」に過ぎないと指摘し、noteはそのような場所ではないと主張しています。

さらに、著者はオリジナルの創作や日記の方がはるかに価値があると感じており、批判は自身の心の中に留めておくべきだという立場を明確にしています。この点からも、他者に対する批判ではなく、自分自身の表現を大切にするという姿勢が強調されています。

総じて、このエッセイは、創作や自己表現の自由を守ることの重要性と、無意味な批判の抑制を訴えていると感じます。また、他人の作品を勝手に評価する行為に対する強い批判的な視点が目立ち、noteを健全な自己表現の場として保ちたいという思いが込められているように思います。

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西田親生@D&L
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