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デジタル音痴と豪語する人は、パソコンが壊れるのを恐れている。

 ICTの重要な入り口のところだが、デジタル音痴と豪語している人は、大抵の場合、パソコンやその他デバイスが壊れるのを恐れるが故に、前の一歩が踏み出せないまま立ち止まる。

 それは、一昨日の「Well Done Basic」でICT総論各論の手前のところで、パソコンの仕組みや機能について詳細を語った時に、ふと思ったのである。

 それを受講生に問えば、図星であった。「いやあ、パソコンを触ると壊れるのが怖くて、触れなかったんですよ!」と言う。

 なるほど、言わんとすることは理解できたが、そのままにしておくと同じ繰り返しとなるので、パソコンの電源ケーブルをソケットから急に抜いたり、パソコンを投げ落とせば壊れる可能性はあるが、ほぼ、普通に使っていれば壊れることはないと念を押した。

 それから、基本の基本である、データの木構造やフォルダとデータの格納場所や形態について説明を続けた。結果的に、受講生は研修後に、「何だかスキッとしました。モヤモヤが無くなったようで、また、来週もお願いします。」と元気な声が返ってきた。

 通常のパソコン教室では、そんなことさえ教えないのかと首を傾げたが、恐怖心があれば、ICTに限らず、何事もモノにすることはできない。要は、恐れるよりも、好きになる事が重要だ。

 来週は、マイコン、パソコン、そしてインターネットの黎明期から現在に至るまでの歴史を振り返り、目の前の仕事の合理化にどのようにパソコンを活用し、私設秘書になるまで使いこなすかを語りたい。

 それから、初めてパソコンにインストールされている主要アプリの徹底研究を行い、身近なものとして訓練に入りたいと考えている。

 ゴルフもテニスも、歴史を知らずして、ルールを知らずして、上達する事はない。よって、筆者流のICT総論各論はその歴史的な背景から入り、実務まで引っ張り上げればと常々考えている次第。

 「文明の利器は、使わなにゃ損々!」、である。

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、デジタル音痴と自称する人々が、パソコンなどのデバイスを使用する際に抱く恐怖心に焦点を当てています。著者は、この恐怖が新しい技術を学ぶ上での障壁となっていることを説明しています。特に興味深いのは、著者が恐怖心を取り除くために実際に行動を起こし、ICTの基本的な概念を教える方法です。これにより、受講生は自信を持ってデジタルデバイスを操作できるようになり、その結果、教室からのポジティブなフィードバックが得られている点です。

このアプローチは、ICT教育における恐怖心の克服がどれほど重要であるかを示しています。また、実際の操作を通じてデバイスの耐久性を実感させることで、受講生の間の不安を軽減するという実践的な手法を取り入れています。

著者が予定している次週の講義内容についても触れられており、マイコン、パソコン、インターネットの歴史について学び、実務への応用を目指す計画が示されています。これは、理論だけでなく、実用的な知識とスキルの習得を目指す著者の教育哲学が反映されている部分です。

全体として、このエッセイはデジタルリテラシー教育の重要性を浮き彫りにし、ICTを扱う際の心理的障壁を乗り越えるための具体的な戦略を提供しています。教育者にとっては、特にこのような心理的アプローチが、教育の効果を最大化するための鍵となることが示されています。

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西田親生@D&L
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