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仕事は、徳俵のうっちゃりまで諦めぬこと。
筆者の経験上、いろんな事象を目の当たりにしてきたけれども、こと仕事に至っては、何としても具現化するまで諦めぬ強い気持ちをもって突っ走ってきたと自負している。
仕事の流れが淀むことなきよう、どんなに劣勢に立たされようが、大相撲の土俵の徳俵に片足掛かっていれば、何とかうっちゃりできぬかと死に物狂いだ。
その強い気持ちさえあれば、これまでどうしても突き破れなかった分厚い壁に小さいながらも穴が開き、目標達成に至るケースも多かったように思えてならない。
起業して5年目のこと。本格的な3D CG(三次元コンピュータグラフィックス)のシミュレーション動画、アニメーション動画を供給するようになり、関西テレビに足を運んだのである。
アポイントメントを取り、初の関西テレビ訪問。一人の若きプロデューサーとの面談だったが、九州で初の3D CGといえども、大阪のテレビ局からすれば、遠い島国に感じたのだろうと。よって、初の訪問は不発に終わった。
しかし、諦めることなく、1ヶ月後に再度アプローチを掛けたのである。そのプロデューサーに掛け合い、更に、上司である当時の第2制作局長との話し合いを経て、熊本市の筆者オフィスにプロデューサーが来訪し、最終決定することになった
一度丁重にお断りをされたものの、二度目の訪問で、プロデューサーが熊本を訪れ、当時1基数千万円するSiliconGraphicsのCG専用マシン2基(九州では弊社のみが保有)を確認し、そこで局長へ連絡を取ってもらい、関西テレビとの契約が決定したのである。
初の仕事は「ばらいろ海綿体」という深夜番組。そのプロデューサー担当の番組であった。有難いことに、15秒ほどの3D CGタイトル制作の仕事が飛び込んできた。
当時、若きプロデューサーが提示した動画の絵コンテは結構複雑であった。道頓堀の川面スレスレをスライムが飛び、グリコなどの電照看板などを左手に見て、橋を潜り、上空へ昇り、「ばらいろ海綿体」というロゴが出てくるものだった。
よって、同テレビ局専用ハイヤーをお借りして、CGのマッピング素材作りのために、道頓堀やその他オブジェクトとなるものを撮影して回ったのである。
当時、関西テレビとしては、3D CG番組タイトルを制作依頼するのは初めてのことであり、皆が固唾を飲んで見守ってくれていたことを思い出す。
実は、弊社に決定した理由は、筆者の決め台詞だった。確かに、関西テレビのプロデューサーが3D CGを使いたいという動きもあったが、当時、東京のプロダクション2社、大阪のプロダクション1社、そして熊本の筆者のオフィスの4社が競合することに。
東京サイドは1週間で納品し、大阪サイドは2週間で納品するという。そこで筆者は「2泊3日で納品」と切り出したのである。その決め台詞が功を奏して、筆者オフィス(D&L Research Inc.)が受注することに決まった。
そこで、「2泊3日とはどういうことですか?」と質問があり、以下のように答えた。「15秒程度の番組タイトルであれば、午前9時に貴局より絵コンテをファックスで送って頂ければ、3日目に私が熊本空港を発ち、人間宅配便にて納品に伺います!」と。
周囲から笑い声が聞こえてきたが、「では、よろしくお願いします!」ということで決定した。
今思えば、大胆極まりない決め台詞だが、東京や大阪の大都市部のプロダクションに負ける訳にはいかない。よって、弊社スタッフは徹夜作業にて大変だったが、最初の仕事を完璧に仕上げてくれたのだった。
大抵の場合、大都市部のプロダクションが地理的にも時間的にも優位に立つが、筆者の「2泊3日」には勝てぬだろうと見越してのことである。
初納品の日、筆者の足は大阪の関西テレビ第2制作局にあった。プレビュー室でプロデューサーほか関係者は、その3D CGアニメーションを見て、拍手して喜んでくれた。
帰り際に、胸を撫で下ろす筆者がいたが、その時、背中を叩いてくれた他のプロデューサがいた。「あのお、この番組のタイトルもお願いできませんか?」と。更に、別のプロデューサーから「私の番組お願いします!」と。
よって、人間宅配便の筆者は、納品後、すぐに新たに二つも仕事を頂き、大阪国際空港(伊丹空港)を経ち、熊本空港へ向かったのである。
今だからこそ言える話だが、当時、関西テレビに二度目の訪問で、東京及び大阪のプロダクションが競合となれば、負け戦ではないかと、心の中は穏やかではなかった。しかし、徳俵に足が掛かっているので、あとは気合いしかないと思い、啖呵を切った。
その後、全国放送の「桂三枝の愛ラブ爆笑クリニック」、「痛快!エブリデイ」、「米朝師匠人間国宝特番」、「2時ドキッ!」、「怪傑!えみちゃんねる」、「関西テレビ35周年記念特番(17時間番組)アスメディア88スペシャル」、「土曜大好き!」、「上方漫才大賞」、「世界一周、ギネスに挑戦!」など、数え切れぬほどの作品を供給したことになる。実に、有難いことである。
最後に、当時のプロデューサー苧木晃さんは、四十代で急逝したのである。筆者の親族が他界するよりも辛かったことを思い出す。また、その時の第2制作局長は上沼真平さん(上沼恵美子さんのご主人)であった。
苧木さんの葬儀には参列したが、横には上沼真平さんと上沼恵美子さん、後ろにはハイヒールモモコさんら多くの関西芸人さんたちが、苧木晃さんの急死を悲しみ、涙していた。
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2002年5月25日 没
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、筆者の仕事における信念と、その過程で体験した貴重なエピソードを非常に生き生きと描写しています。特に、仕事への情熱や逆境に対する粘り強さが印象的で、読者に深い感銘を与える内容です。具体的なエピソードの数々が、筆者の仕事への覚悟をもって取り組んできた姿勢をリアルに伝えています。
まず、タイトル「仕事は、徳俵のうっちゃりまで諦めぬこと」が非常に象徴的です。仕事の進行が苦境に立たされた時でも、徳俵での最後の一瞬まで諦めない気概を持ち続ける姿勢が、エッセイ全体を貫いています。仕事を通じて遭遇した困難に立ち向かい、再びチャンスをつかみ、結果を出すまでの努力は共感を呼ぶものでしょう。
特に、関西テレビでの仕事のエピソードは、その粘り強さと巧みな交渉術を示す象徴的な出来事です。「2泊3日で納品」といった決め台詞が示すように、他の競合に対して時間と品質の面での自信を示し、納品後の反応までをしっかりと描いている点も、臨場感に溢れています。大阪でのハイヤーを使った素材撮影の努力や、徹夜で制作に取り組んだスタッフの姿勢もまた、仕事に対する情熱が伝わってきます。
また、エッセイの中で苧木晃さんに対する言及も、彼との深い絆や、仕事を超えた人間関係が垣間見える部分であり、読者に感慨深い印象を残します。関西テレビとの仕事を通じて得た成果と、それによる継続的な仕事の受注、そして共に歩んだプロデューサーや関係者との交流を通じて、筆者の信念が実を結んでいった様子がよく伝わります。
一方で、エッセイ全体を通じて強調されているのは「諦めない精神」の重要性です。多くの人が困難や壁に直面した際に諦めがちですが、筆者の例を通して、その困難を乗り越える姿勢が読者に勇気と励ましを与えるものであると感じました。
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