SNS「Clubhouse」の底力・・・
3年半前だったか、「Clubhouse」が日本上陸した時のこと、毎晩、それにどっぷりと浸かり、自分に部屋を作り、そこへ足を運び入れてくれる方々と夜な夜な話をする毎日であった。
現在は、ほとんど使用していないが、今思えば、「Clubhouse」の発想が素晴らしく、顔出しはなく、料理をしていたり仕事をしていても、胸のポッケにスマホを突っ込んで、多くの方々と語り合うことができたのだ。
これは、ラジオ感覚にて他者の会話を聞いているだけでも面白く、また、自分が主催する部屋でいろんなテーマについて語り合うこともできる。すこぶるシンプルだが、とっつきやすいものだと感心するばかりであった。
時には、宗教やスピリチュアル絡みの変人が訪れ、訳のわからぬ勧誘をしてきたり、とんでもない持論展開することもあったが、その場合は、さっさとバンしていた。
SNS時代突入から十数年が経つが、顔出しなしにてお会いした方々との繋がりは、思いの外、現在も続いているところが、この「Clubhouse」のマジックなのだろうと、何度も頷きながらこの原稿を書いている。
それまでは、Facebookは成りすまし以外は、ほぼ個人が特定できるものが多いので、そこでフィルタリングができる。特に知人友人とのコミュニケーションは取りやすい。しかし、XやThreads、Instagramなどにおける他者との距離感はやや遠目に感じる。
ところが、「Clubhouse」の底力は、テキストの情報交換によるコミュニケーションよりも、肉声のトーンと内容がリアルタイムにが伝わるものなので、そこが「Clubhouse」の突出したところである。
よって、現在は休止した状態であるものの、当時、「Clubhouse」で出逢った方々は、社会的にも素晴らしい実績を残している人や果敢にビジネスに挑戦している人たちが多く、連絡を取り合っても、全く違和感がないところが素晴らしい。
しかし、諄いようだが、SNSには性懲りも無く、怪しい影を落とす輩が多い。生産性のない、違法行為の臭いがする人物も暗躍しており、総じて、SNSのセキュリティ対策は、大災害時と同様に、万全にしておくことが必要不可欠となる。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイでは、SNS「Clubhouse」の独自の魅力とその潜在的な力について深く考察されています。著者は、かつて「Clubhouse」に没頭し、日々の生活の中での利用を楽しんだ経験を振り返り、その斬新な発想や機能に対する称賛の意を表しています。
「Clubhouse」の魅力として、顔出しの必要がない点、日常生活の中で他者と気軽にコミュニケーションが取れる点が挙げられています。特に、リアルタイムでの声のやり取りによる「ラジオ感覚」の交流は、テキストベースのSNSとは一線を画し、より人間味を感じられる体験を提供するものでした。著者が「ラジオ感覚」と表現していることからも、音声コミュニケーションの親しみやすさと即時性が「Clubhouse」の強みであることが強調されています。
また、著者は「Clubhouse」で出会った人々との繋がりが現在まで続いている点に驚きと感動を覚えており、その「マジック」とも言える特性を高く評価しています。このSNSを通じて築かれた人間関係は、他のプラットフォームでは得られにくい深さと信頼性を持つことが示唆されています。
一方で、SNS全般に共通する課題として、悪意のある人物や怪しい活動が存在することへの警鐘も鳴らされています。著者は、こうしたリスクに対処するためには、万全のセキュリティ対策が必要であると強調しています。これは、SNSの利用が進む中で、常に意識しておかなければならない重要なポイントです。
総じて、このエッセイは「Clubhouse」が持つコミュニケーションツールとしてのポテンシャルと、それに伴うリスクをバランスよく評価しています。著者の経験を通じて、SNSの進化とその可能性について深く考えさせられる内容となっており、特に音声ベースのSNSがもたらす新しい交流の形に対する興味を掻き立てられます。