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日本近代史と文化の変遷を学ぶには・・・

 日本近代史と文化の変遷を学ぶには、日本のホテルのホテルとして、文化発信基地として、常に世の中に新しい風を吹き込んできた「帝国ホテル」の歴史を紐解けば良い。そこには色々な発見があり、食文化をはじめとして、ホテリエの基本、その他諸々のヒントや教科書が隠されている。

 熊本地震やコロナ禍により、近頃遠ざかっている「帝国ホテル」だが、同ホテルは、筆者のグルメやホテルの世界観のマイルストーンとなり、揺るがぬスタンダードとして、国内外のホテルや宿を検証するバイブルとなっている。先ずは、リッツのクレドに対しての、同ホテルの時代を感じさせる「十則」も必読となる。

 現代フレンチの礎を創ったのは、リッツのオーギュスト・エスコフィエ。当時、5000ものレシピを誇るエスコフィエに、日本人として初めて師事し、本格的なフレンチを日本に持ち込み、大正、昭和両天皇の料理番として、長きに亘り活躍した秋山徳蔵。更に更に、現代のフレンチのバイブルを作った巨匠 村上信夫となる。

 ご存知の通り、当時NHKの料理番組(DVDあり)にて、村上信夫は帝国ホテル総料理長として、オムレツをフォークだけで簡単に作れる手法など、全国の主婦層へ洋食文化を啓発していったのであった。いつもニコニコと笑顔を絶やさず、実に簡単な洋食の作り方ノウハウは、当時の子供たちの弁当にも大きな影響を与えたに違いない。

 エスコフィエと村上信夫が活躍した時代は異なるが、この二人に共通点が幾つもあるのが面白いところだ。双方に徴兵されて軍隊で料理を指南したこと。エスコフィエはドイツ軍艦厨房のレシピを完成させ、当時の皇帝から「私はドイツ帝国の皇帝だが、あなたは料理界の皇帝である!」と絶賛されている。

 村上信夫は徴兵された最前線にて、同僚が瀕死の状態に陥り、何を食べたいかと村上が問うと、同僚が「最後にパイナップルが食べたい!」と言い、リンゴを素材として、ナイフでリンゴをパイナップルのように細かく刻み、コンポートを作り、瀕死であったはずの同僚がそれを食して、生き返った(元気づいた)という実話も残されている。

 よって、ホテルのホテルと言われ、旧御三家(帝国ホテル、ホテルニューオータニ、ホテルオークラの3ホテル)ホテルの筆頭格として、「帝国ホテル」は全国のホテルに対して、有形無形に影響を与えて続けてきたに間違いない。また、当時より世界各国からのVIPも常宿としたほどに、その格式の高さは言わずもがな。(しかし、常にフレンドリー)

 以前、筆者が主宰する「先見塾」の塾生を引き連れて、「帝国ホテル」の視察を行なった。地下のショッピングモールも帝国発であり、ディナーショーもブライダルも、更には、クリスマスイベントなども、全て帝国発であることが、日本近代文化発信基地としての所以である。

 ショッピングモールには、和食、中華、洋食、そして有名百貨店などのアンテナショップが並んでおり、帝国に滞在中に、帝国のエリア外へ出なくても、すべて賄えるところが、如何にも帝国らしく、毎回足を運んでも最高の接遇にて、安心安全な滞在を保証される訳だ。

 グルメで印象に残ったのは、かの有名なバイキングレストランである。全国のホテルにはバイキングというのが当たり前のようなシステムになっているが、これもまた、帝国発であることを頭に入れておく必要がある。因みに、バイキングという名称は、当時、カーク・ダグラス主演のバイキングという映画タイトルから名付けたと言う。

 地階にある帝国直営店のラ・ブラスリー。敷居が高そうで、逆にフレンドリーなレストランであるが、筆者がオススメするのは、帝国自慢のコンソメスープ、ローストビーフ、そして、エリザベス2世が食された海老料理とシャリアピンステーキである。各スタッフのフレンドリーさは、全国でダントツであるが、其々に高度なスキルを持っている。

 シャリアピンステーキは、現在の全国シティホテルであれば大抵作ってもらえる。勿論、このシャリアピンステーキもまた帝国発であり、当時、虫歯の痛みに苛まれてステーキを食すことができなかったオペラ歌手シャリアピンの為に、特別に考案された柔らかに仕上げたステーキである。もし、お連れがご高齢の方であれば、是非オススメしたい逸品となる。

 帝国について書き綴ると、枚挙に遑がないほど、帝国の箱は間口が広く奥深い。そこで最後にお伝えしておきたいことが一つ、二つほどある。諄いようであるが、文化発信基地としての「帝国ホテル」と他の高級ホテルとの大きな違いは、世界最高峰と絶賛されるランドリーサービスであると言える。

 筆者もスーツケースに収納していたスーツの上着が、詰め方が悪くグチャグチャになっていたので、「外出まで1時間くらいですが、この上着のシワはどうにかなりませんか?」とランドリーサービスに依頼。すると、30分でシワがなくなっているばかりか、メモ用紙に「ほつれが二箇所ありましたので」と、直してくれていた。聞けば、スーツやシャツのボタンは、国内のものならば殆ど揃えているというので驚きだ。

 蛇足ながら、帝国で思い出したのは、東京オリンピック1964当時の選手村のケータリングは、帝国の「質の量化、量の質化」のノウハウが、完璧に機能したと伝えられている。これも、大宴会場でのパーティーやイベントのケータリングノウハウも、帝国発であることを忘れてはならない。

 ただ、最後に一言申し上げたいことは、歴史と伝統、文化が充満した木星のような大惑星が帝国ホテルなのだろうと。よって、コロナ禍で大変な時期かもしれないが、日本を代表するホテルとして、我々の子々孫々にも「ここに帝国あり!」を伝えていただければと考える次第。

※お土産、帝国直営「ガルガンチュア」がオススメ!

帝国ホテル東京 ラ・ブラスリーのローストビーフ

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西田親生@D&L
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