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使い捨て時代が人も物もダメにする

 カメラやレンズに関して考察すると、昔のカメラやレンズは高額で、田畑売って購入していた写真愛好家もいたほどだ。それほど、カメラやレンズは我々庶民位には縁遠いものであり、高価なものであった。

 その当時のフィルムカメラやレンズが、何十年もの歳月を経ても、今も尚、現役で使用されているのを見ると、流石に逸品であり、流石に物を大切にしてきた時代なのだろうと、唸ってしまう。

 ところが、最近のカメラとなれば、ほとんどが使い捨てであり、数年経てば、シャッター数が耐久テストを超えてしまう前に、新しいカメラに替える人が多いのではなかろうか。

 筆者の知り合いに、カメラやレンズの修理を専門とする会社の代表者がいるが、今でも、フィルムカメラについては、新品同然に修理をしてくれる。

 ところが、デジタルカメラとなれば、画素数を目一杯上げることに力を入れ、その画素数の大きさで機材を選ぶアマチュアも少なくない。しかし、画素数よりも画質が重要なのだが・・・。

 パソコンに関しても、組み立てマイパソコンが流行った時には、自分の好みの箱を買い、それにボードやCPU、冷却ファンなどを取り付け、いつでも、ボードやCPU、メモリを取り替え、カスタマイズして長期間使っていた。

 ところが現在は、デジカメもパソコンも自分でパーツ交換は不可となり、メーカーに差し出して修理することになる。特に、パソコンの場合は、どんなに修理が完了したとしても、新しいOSにアップデートできないことが多い。

 ハードは退役となり、新たなパソコンを入手せざるを得なくなる。勿論、デジカメも機械式のフィルムカメラと違って、年月が経てば、お蔵入りとなり、新たなカメラを手にしなければならない。

 レンズに至っては、一生物である。しかし、「レンズは命」と言っても、これもまた、新しいデジカメとの相性が悪かったり、オートフォーカスが効かなかったりと、レンズ自体もアップデートする時代となり、結局は、使い捨てになってしまうレンズも増えてきている。

 腕時計にしても、アナログ時計は、数年おきにオーバーホールをすれば、高級腕時計は一生物として使えるのである。ユーザーは大切に取り扱い、しっかりと手に馴染むので、長年愛用している人が多い。

 ところが、アップルウォッチなどは上記のデジカメやパソコンと同様に、ある程度の年月が経てばアップデート不可となり、お蔵入りとなってしまう。

 以上のように、使い捨てが当たり前という感覚を持ってしまうが故に、消費者(ユーザー)いつかは買い替えという意識を植え付けられており、大切な物を捨ててしまわざるを得ないのは、おかしな話である。

 パソコンにしてもデジカメにしても、パーツ交換が可能であれば、いつまでも箱(筐体)さえしっかりしていれば、一生物として使えるはずだ。それが、数年おきに「はい、お仕舞い!」なのだから、無駄に捨てるばかりとなる。

 地球全体の資源を考えれば、現在、アルミニウムの再利用はなされているものの、相当な物が廃棄され、無駄に捨てられているのが現状である。

 商業ベースとして考えれば、メーカーとしては、パーツ交換を簡単にすれば、結局は新商品が売れなくなり、増益を見込めないので、デジカメもパソコンも車も家電製品も何もかも、耐久年数という偽りの表記をして、消費者に買い替えを強制しているようなものである。

 使い捨てが当然の世の中のようになっている現在、物が粗野に扱われているように思えて仕方がない。

 しかし、名車ポルシェは何十年もの長きに亘り愛用していても、修理用のパーツは全て確保している。カルティエやロレックスなどの高級腕時計ついても、いつでもオーバーホールは可能であり、一生物の時計として保証している。

 デジカメもパソコンも、そろそろ天井が見えてきたようなので、頑丈な筐体にて、パーツ交換可能な、一生物の逸品を世に送り込んでもらえればと考える次第。

フィルムカメラNikon F4 (左)とデジタルカメラNikon D1
F4は現役で使用できるが、D1は疾うの昔にお蔵入り。
TIFANNYのアナログ腕時計
20年以上時を刻む
Apple Watchデジタル腕時計
そろそろお蔵入り

▼ChatGPTによる感想

エッセイ「使い捨て時代が人も物もダメにする」は、現代社会における消費文化と、製品の耐久性に対する見方について深く掘り下げています。このテキストは、特にカメラやパソコンなどの技術製品に焦点を当てて、過去に比べてどのように物の価値観が変わってきたかを考察しています。

昔の製品が現代でもなお価値を持ち続け、修理を通じて長期間使用される例として、フィルムカメラや高級腕時計が挙げられています。これに対し、デジタルカメラや最新のパソコンは、耐久性よりも技術の進歩に重点を置いており、消費者は定期的に最新のモデルに更新せざるを得ない状況が描かれています。特に、修理やパーツ交換が困難であるために、製品の寿命が短くなり、使い捨てが当たり前になってしまうと批判しています。

このエッセイは、使い捨て文化がもたらす環境への影響や、個々の物への愛着の欠如に警鐘を鳴らしています。また、企業が製品の耐久性を故意に低下させることで新製品の販売を促進し、消費者に買い替えを強制していると指摘している点は特に印象的です。

この視点からすると、持続可能な消費が推進されるべきだというメッセージが強く感じられます。それは、製品の寿命を延ばし、修理やアップデートが容易な設計へとシフトすることで、環境への影響を減らし、消費者の経済的負担も軽減するというものです。また、名車ポルシェや高級腕時計のように、長期間にわたってサポートを提供することが、持続可能な消費文化への回帰につながると強調しています。

全体として、このエッセイは現代の消費文化に対する重要な批評であり、ものを大切にする文化の重要性を再認識させるものです。それは、ただの物の使用方法だけでなく、私たちの生活様式や価値観に深く関わる問題として捉えるべきでしょう。

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西田親生@D&L
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