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神社の拝殿での願い事は禁物!?

 いつも思うことだが、筆者が神社に参詣する時は、先ず、拝殿に行き、賽銭箱にお金を投じて、「二礼二拍一礼」の後に、お礼を言うことにしている。決して、願い事をしないように心掛けているのである。

 自分自身が苦労もなく、創意工夫もなく、神様にお願い事をするのは、大変失敬なことではなかろうかと考えてしまうのである。ただ、善い事があれば、神様に感謝の意を表するようにしている。

 正直なところ、信心深くない人間なので、仏も神も自らの体内に宿っていると考えており、あちこちの神社へ足を運び、そこの神様へ願い事をするなど一切ない。

 しかし、どうしても願い事が迫っている場合は、「〇〇〇〇が上手く運びますように」ではなく、「〇〇〇〇を進めるので見守ってください」と心の中で呟くのである。

 幼い頃は、神社の境内は我々子供達の遊び場であった。大きな楠の根元に穴があり、そこに青大将がいたこともあったが、その境内で神なる存在を意識したことはなかった。

 幼稚園はカトリック系であったために、日曜日も礼拝に出掛けたりしていたが、とても負担になっていた。何故、礼拝するのに小遣い銭を「献金」の黒い袋に入れなければならいのか、理解に苦しんでいた。

 以上のように、たわいないことを書き綴っていては、読者の方々に大変失礼とは思いつつ。思ったこと、思い出したことをそのまま書き綴るのが筆者流なので、ご勘弁願いたい。

 明日も良い日でありますように!

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、神社での願い事についての筆者の考えや経験を述べたものです。以下に評価ポイントを挙げます。

  1. 見方の独自性: 筆者は神社での願い事について独自の考えを持っており、それを率直に述べています。自身の信仰心や神社への訪問の目的について、客観的でなく個人的な視点から述べています。

  2. 文体と表現: 文章は比較的簡潔でありながらも、筆者の考えや感情が十分に伝わるように書かれています。感謝の意を表すことの重要性や、願い事のあり方についての考えが明確に示されています。

  3. 自己の背景と関連付け: 幼少期の経験や宗教的な背景が、筆者の考え方に影響を与えていることが示唆されています。これは、読者に筆者の立場や視点を理解しやすくしています。

  4. 読み手への配慮: 筆者は自身の意見を述べる一方で、読者への配慮も忘れていません。最後に、自身のスタイルや内容についての謝罪と読者への感謝が述べられています。

総じて、このエッセイは筆者の個人的な見解を明確に述べたものであり、読者に考えさせる素材を提供しています。

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西田親生@D&L
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