転勤族の子供たちは、地獄を見る。
筆者の家庭は、転勤族であった。2年から3年に1回、転勤となる父であったが、金魚の糞のように、黙って、文句も言わず、荷造りをして、転勤先へ移動し、転入生として新しい学校へ通うことになる。
小学校の時は1年生の冬休みに、父の転勤先から独りで実家に戻る決意をして、両親と離れ離れになり、小学校3年生まで孤独と闘っていた。
小学校は生まれ故郷なので、幼稚園の頃からの幼友達が沢山いて、違和感もなく、溶け込んでいた記憶がある。
それから、小学校を卒業して、皆と一緒に地元の中学校へ行けるかと思っていたが甘かった。父が転勤となり、嫌々ながら地元を離れて、他県の県庁所在地の中学校に入学した。言葉のイントネーションも方言も異なり、やや言葉で苦労したことを思い出す。
そこで3年生まで暮らすのかと思っていたら、父が2年前に単身赴任で行っていたので、結局、1年生の冬休みに転勤が決まり、1年の3学期から別の中学校へ転校となった。
言葉のギャップはそれほどなかったが、折角、仲良しになった友達とは、再び離れ離れとなった。
二つ目の中学校は熱心な先生が勢揃いにて、同クラスだけでもガリ勉の生徒がたくさんいた。その中学校を卒業し、当時、父が転勤はないと断言していたために、同県内の進学高校を受験した。
実は、他県の有名私学へ行きたかったが、父から阻止されたのである。しかし、県立高校は風紀もよく、卒業した中学校からは三分の一がそのまま入学するようなので、とても嬉しかった。
ところがである。夏休みに入ってすぐに、夜中に父が筆者の部屋に入ってきた。「八月末に転勤で他県へ移動するので、よろしく!」と。目の前が真っ暗になった。
転勤がないというから、有名私学を諦め、県内の進学校を受験して我慢していたのに、1学期が終わって直ぐに転勤とはこれ如何にである。
県外の県立高校の編入試験は難しく、一人か二人しか通らないという。結局、八月二十三日の編入試験を受けて、筆者と東京から転校してきた女性の二人だけが合格したのだった。
県外あちこちを移動しなければならない生活は、筆者にとってはストレスであった。今のように、スマホもない時代なので、転勤先の官舎の電話を使って、市外電話をかけることができない。と言っても、筆無精の筆者なので、手紙も書かないので、どんどん疎遠となっていく。
そうしている内に、高校3年生となり、さてさて受験の準備である。筆者はシリコンバレーに憧れていたので、留学の準備を母と密かにしていたのだが、それを父から再び阻止されたのである。
家長制が残る家庭だったために、祖父や父の実験は強かった。特に、長男最優先、次男以下は付録のような扱いである。因みに、筆者は次男であった。よって、段々と、自らの将来の夢が縮まってしまい、当時、かなり意気消沈していた筆者であった。
あれやこれやと考えている内に、何と、高校3年の夏に父の転勤が決まったという。高校3年時の2学期からは、県立高校の編入試験はないのである。頭の中が真っ白になった。海外留学の夢を潰され、落ち着いて受験勉強もできない暗闇に入り込んでしまった。
結局、転勤先の官舎に着いたのは、八月二十五日の夕刻だったと記憶するが、それから、以前の高校まで、バスや電車、自転車で通わなければならず、待ち時間を含めて片道3時間ほどの通学時間となった。
子供の教育に無関心な父であったが、これが法曹界の人間かと、何度も恨んでも恨みきれない学生時代を送ってきたのである。母は若くして他界したが、海外留学の件だけは、相当恨んでいたように思えてならない。
このように、ざっと時系列に並べて、小中高と金魚の糞物語を書き綴ったが、子どもにとって転勤(転校)は、全て好循環になり得ないことを物申したいのである。時には、環境が変わり、その地域の子どもたちが良い人が多ければ良いが、転校生は妙に目立ち、いじめの対象になりがちなのだ。
本来ならば、転勤は仕事上必要不可欠なシステムであるが、子供の受験などのタイミングだけはしっかりと考えて、人事異動をしてもらいたいと、何度も文句いった。
後々分かった事であるが、父はすこぶるマイペースな人間だったので、転勤先は自ら手を挙げて、転勤していたという。「あそこは魚が釣れる!」とか「あそこは素晴らしいゴルフ場がある!」など、自主的な我儘三昧の転勤であったことが判明したのであった。とんでもないことである。
以上、次男であるが故の運命だったのかと、苦笑いの連続となる。
最後に、新聞社(地方紙としては結構歴史ある新聞社)に合格した時の父の言葉をご紹介しておきたい。何と言ったのか?
それは、「ふ〜ん」の一言だった。何とも言えない反応である。更に、「法曹界を目指さないのか!?」が最後の言葉だった。今は亡き父であるが、長男と次男との差別待遇については、反省して欲しかった。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、転勤族の子供としての辛い経験と、その影響について深く掘り下げています。以下は感想です。
転勤族の苦悩と孤独
エッセイの冒頭から筆者は、転勤の度に繰り返される引越しと新しい環境への適応の難しさを強調しています。幼少期に何度も転校を余儀なくされ、友達との別れを繰り返す孤独感は、子供にとって非常にストレスフルな体験です。この状況に対する筆者の不満や悲しみが、強く伝わってきます。
家族の力関係と個人の夢
特に印象的なのは、家族内での力関係と、それが筆者の夢に与えた影響です。父親の転勤先の選択が個人的な趣味に基づいていたことや、筆者のシリコンバレーへの留学の夢を阻止されたことなど、家長制の厳しさとその弊害が描かれています。筆者が次男であったために、家族内での待遇が異なり、長男優先の文化が自らの将来を狭めたことへの憤りが感じられます。
転校の影響と学業への影響
頻繁な転校が学業に与えた影響も無視できません。高校時代、特に受験期における転校は、非常に不利な状況を生み出しました。通学時間が片道3時間に及んだことや、編入試験の難しさに直面したことなど、具体的な困難が記されています。このような環境では、安定して学業に集中することが難しく、筆者が経験した不安定さが強調されています。
家族との関係と未解決の感情
筆者の母親が早くに他界したことも、家庭内での支えを失う一因となり、さらに辛い状況を強めています。父親の無関心さや自己中心的な行動に対する恨みが、筆者の中で未解決の感情として残っていることが述べられています。父親の死後も続くこれらの感情は、家族内でのコミュニケーション不足や理解の欠如を象徴していると言えるでしょう。
社会的メッセージ
エッセイの最後には、転勤というシステムが子供に与える影響についての批判があります。筆者は、仕事の都合で必要な転勤であっても、子供の教育や生活に与える影響をもっと考慮するべきだと訴えています。転校生がいじめの対象になるリスクや、受験期のタイミングを考慮しない人事異動の不合理さが指摘されています。
感想まとめ
このエッセイは、転勤族の子供としての苦悩を非常にリアルに描写しており、読者に対して強い共感を呼び起こします。筆者の個人的な経験を通じて、転勤が子供に与える影響の深刻さと、その背景にある家族の力関係や社会のシステムへの批判が明確に伝わってきます。このような経験を通じて、筆者が感じた孤独や不安、そして夢を阻まれた悔しさが痛切に表現されています。