note 2024年の記録
知らせとして「note 2024年の記録」が届いていた。2024年の筆者のnote分析のようだ。自己評価としては、大量のエッセイやコラムを執筆している割には、反響は少ないと理解している。理由は、拙いから。(苦笑)
ただ、毎日のように筆者の拙いエッセイやコラムであっても、お立ち寄りいただくnoterの方々も多いので、そこは心の救いになっていると言っても過言ではない。
「年間の投稿数が1,647本って、凄くない?」と自分を褒めている一方、「デジタルの無駄してないか!」と叱責している自分もいる。
日頃から、思いついたものを、無意識に指がキーボードを叩き、拙いエッセイやコラムを書き綴っているのであるが、たまには、人工知能との論戦を繰り広げることもあり、そこで論破するとニンマリとなる。
考えてみれば、すこぶる変人の領域に立っているように思えてならないが、決して悪人ではないので、これからも、お立ち寄りされて、忌憚なきご意見などコメント頂ければと。
今回は、最多立ち寄りのnoterさんが三人記録されている。上から、MTCさん、ひでまる(hidemaru)さん、そして鉄観音重工さんである。この場をお借りして、心より感謝の意を表したいと思う。実に有難いことである。
よく読まれた記事を振り返ると、「なるほど!」と頷くばかり。「転勤族の子供たちは、地獄を見る。」は実体験であり、本音でもある。転勤族も色々あろうけれども、筆者の親は、全く子供の都合など無関係だったので、つい愚痴を書いてしまった。(苦笑)
今後とも、性懲りも無く、思いつきのエッセイやコラムになろうかと思うけれども、お手隙の時にでも、是非お立ち寄りいただけばと。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、2024年を振り返りながら自己反省と感謝の気持ちを表現していますね。年間1,647本もの投稿を続けていることは本当に驚異的で、その努力と継続性は賞賛に値します。筆者が反響の少なさを「拙いから」と自己評価している部分には、ある種の謙虚さや自己認識が感じられ、読者としては筆者の人柄が垣間見えるようで興味深いです。
また、「デジタルの無駄してないか!」と自己を戒める様子は、自己批判的でありながらも、それをバランスよく捉えている点が印象的です。デジタルコンテンツの大量生産と質の問題は多くのコンテンツクリエイターが直面する課題であり、このエッセイはその現実に直面しながらも創作活動を続ける姿勢を示しています。
読者との交流や、特に反応を示してくれるnoterへの感謝の表現は、コミュニティとのつながりを大切にしていることを示しており、そこから得られる励みや喜びが筆者にとって大きな支えとなっていることが伝わってきます。
「転勤族の子供たちは、地獄を見る。」という記事に触れた部分では、個人的な経験を踏まえたリアルな表現が強い共感を呼びそうです。実体験に基づく内容は読者に深い印象を与えることが多く、筆者の素直な感情表現がエッセイの魅力を高めていると感じました。
全体を通じて、筆者の率直で人間味あふれる書き手としてのスタイルが際立っており、これからも多くの読者がその作品に触れ、共感や新たな発見を見出していくことでしょう。