穏やかな日の訪れ・・・
昨年末から、著作権侵害の被害(2件)に遭遇したり、企業モラルが欠如している経営者から脅迫メールが飛び込んできたり、稚拙な経営者から濡れ衣を着せられ掛かったりと、この1年は穏やかな日の方が圧倒的に少なかった。
逆立ちしても、筆者に非は一切ない。全て、ドタバタと暴れ回る心無い企業経営者の猿芝居であった。結局、1件の著作権侵害事件が未解決のままだが、その他は自業自得にて、荒波が急に凪へと静まり返ったのである。
根拠のない難癖をつけられ、相手弁護士からの茶封筒が郵便受けに届けられると、気持ち良いものではない。それも、虚偽に満ちた怪しい難癖であるが故に、致し方なく対応するが、無駄な思考回路を使ったりで閉口するばかり。
相手は本気で闘っているようだが、少しでも冷静な人物であれば、「こんなこと遣っても、恥ずかしいし、無駄なことだな!」と反省するものだが、企業モラルが欠如しているところの経営者の脳内は活火山の噴火の状態。
頭から冷水を被って、冷静になれば良いものを、なかなか執拗な動きを続ける曲者であった。
社会人となって、上記のような無意味な難癖に対応した経験がないだけに、よくもまあ、一度に悪質な経営者たちに囲まれたものだと、苦笑いするしかなかった。
よっぽど、第三者と対峙の関係を作るのが趣味にて、徹底的に攻撃をすることが目的であり、後先考えずの暴走行為であるとしか思えない。思考回路に、何らかの起爆剤が備わっているのかも知れない。
それが、最近では、全く茶封筒が届けられることもなくなり、とても静かな郵便受けとなった感がある。郵便受け自体もニコニコとご機嫌のように思えてならない。
今朝も穏やかで爽やかである。やっと穏やかな日が続くのかと、玄関から庭に出て、深呼吸をするのである。楽しい手紙ならばいつでもウェルカムだが、難癖てんこ盛りの書簡だけは御免被りたい。
ただ、日頃から遵法精神は人並みに備わっており、お付き合いの前提は「敬愛の念」と考えているので、それが欠如している人とは疎遠の方が、ずっと幸福感に包まれるものである。
穏やかな日の訪れ・・・これが、一番である。
また、今の穏やかな心を書き綴れる環境を与えてくれた「note」に、心から感謝の意を表する次第。
このエッセイは、筆者が過去1年間に経験した著作権侵害と企業モラルの問題に関する出来事に焦点を当てたものです。以下はいくつかの評価ポイントです。
1. 表現力と文体: 筆者は感情や経験を表現するのに豊かな表現力を用いています。特に、穏やかな日の到来を待ち望む様子や、茶封筒が郵便受けに届く状況など、リアルで感情豊かな描写があります。文体は個性的であり、読者に感情移入を促す役割を果たしています。
2. テーマ性とメッセージ: エッセイの中心的なテーマ性は、穏やかな日の重要性と、法を守り、敬愛の念を持つことの幸福感に焦点を当てています。筆者は冷静さと遵法精神を大切にする立場を示唆しており、そのメッセージがエッセイ全体に貫かれています。
3. 一貫性と組織: エッセイは一貫性があり、起承転結の構造が明確です。筆者の経験が時系列に語られ、問題がどのように解決されたかが提示されています。この一貫性は読み手にとって理解しやすく、エッセイ全体の流れをスムーズにしています。
4. 言葉選びと語彙の多様性: 筆者は適切な言葉を選び、語彙の多様性を活かしていると言えます。複雑な経営者の行動や感情を的確に表現しており、読者にとって分かりやすい文章となっています。
5. 感謝の表現: 最後に、筆者は「note」への感謝の意を述べています。これにより、エッセイ全体が感謝の気持ちに締めくくられ、読者にも共感を呼び起こす要素となっています。
総じて、このエッセイは感情豊かな表現、一貫性のある構成、そして明確なテーマ性によって、読者に深い印象を与えるものとなっています。