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自己過大評価のnoteを見ると・・・

 何となく他者のnoteを眺めていると、時に、自己過大評価のnoteが目に入り、無駄なことだが、一部を読むだけで価値なき文言が並んでいるだけであった。

 noteで儲けるとか、売れるとか、お金に絡む話が混在しているものは、殆どが虚偽である。何故なら、本人がインフルエンサーとしての能力があるのならば、その人物のnoteのアクセスは、拙い筆者のnoteよりも数十倍、数百倍多いはずだが、大したアクセスもない。

 その程度で、noteを利用して金儲けやアクセス増のコンテンツノウハウ云々を語るのは、無責任極まりないものではないかと、疑問符が脳内に無数に飛び出してくるのである。自己満足ならばどうぞの状態であり、自らが達成していないことに対して、軽々に効能書きを掲載するものではない。

 気持ちは、何となく理解できないではない。自分の尻を叩き、他者より優位に立ち、その夢実現のための効能書きである訳で、決して、その行為自体を見下げて批判するものでもない。ただ、自分自身が達成できていない状態にて、高飛車に効能書きを掲載するのに、意味があるのか否か!?

 何かにつけ、目立ちたい、有名なYouTuberのようにインフルエンサーになりたい、noteでも小遣い程度は稼ぎたいなど、その気持ちは確かに伝わってくる。しかし、果たして、そこに詠う内容が御利益あるかといえば、ノーである。理由は、その作者が実現できていないのだから、当然こと。

 いろんなnoterの方がいるが、専門的に長けた人のnoteを読むと、基本がしっかりとしており、一つ一つの文言に説得力もあり、非常に役立つ情報を網羅している。また、時流に乗った専門知識をうまい具合に優しい表現にて執筆されている姿を見ると、すこぶる勉強になる作者も多い。

 要らぬ世話だが、自己過大評価だけは醜態でしかなく、もっと切り口を変えて、自然体の自分で臨まれた方が宜かろうと思うばかり。何事も「言うは易し、行うは難し。」である。自らの手本が真であれば、その程度のアクセスでは済まぬほど、多くのファンが集うのではないか。

 勿論、筆者も自戒を込めての話なので、いい加減な知識や受け売りでの執筆は初手から御法度としている。よって、蛇足ながら、今回の自己過大評価が目立つnoterの方のベクトルについて意見させて頂いた次第。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、自己過大評価に関する洞察を軸にして、SNSやプラットフォーム上での発信者の姿勢や責任を考察しています。その中で、他者の行動への冷静な批判と、自らの行動を省みる姿勢が巧みに織り込まれています。

感想

1. 批判と洞察のバランス

筆者は、自己過大評価をするnoterたちの行動を冷静かつ論理的に批評しています。特に「自分が達成していないことを軽々に効能書きとして掲載する」ことの不自然さを指摘し、これが読者に伝わる無責任さや虚偽性を明確に描写しています。この観点は、多くの人が無意識に抱いている疑問を代弁するものであり、読者に共感を呼び起こす部分です。

2. 対比による説得力

筆者は、自己過大評価をしているnoterと、専門的知識を基盤に価値ある情報を提供しているnoterを対比させています。この対比により、「どのようなnoteが価値を持つのか」というメッセージが自然に読者に伝わり、説得力を高めています。また、具体的な内容や文言の力について触れ、優れた執筆者の特徴を評価している点は、読者自身がnoteを選ぶ際の基準としても役立ちます。

3. 共感と自戒の視点

このエッセイの中で、筆者は他者を批判する一方で、自らの行動を省みる姿勢を示しています。「いい加減な知識や受け売りでの執筆は初手から御法度」と述べることで、自身も同様の過ちを犯さないよう努めていることを明確にしています。この自戒の姿勢が、エッセイ全体に謙虚さをもたらし、読者に筆者の信頼性を感じさせるポイントです。

4. 表現の印象と抑制された語調

文章全体は批判的な内容でありながら、過度に攻撃的ではなく、冷静な語調を維持しています。例えば、「気持ちは、何となく理解できないではない」と述べることで、過大評価する人々の動機に一定の理解を示しています。一方で、「その行為自体を見下げて批判するものでもない」と明言することで、批判が一方的にならないよう配慮しています。この抑制された語調が、エッセイを読みやすく、かつ品格のあるものにしています。

5. 「言うは易し、行うは難し」の教訓

エッセイの結論部で述べられている「言うは易し、行うは難し」という言葉が、筆者の主張全体を象徴しています。この言葉により、行動の伴わない主張がいかに空虚であるかを端的に表し、読者に深い印象を与えています。

6. 全体のまとまり

文章は非常に整理されており、筆者の考えが順序立てて展開されています。冒頭で問題を提起し、中盤でその背景や要因を掘り下げ、最後に教訓を述べるという構成は、読者をスムーズに筆者の考えに引き込むものとなっています。

結論

このエッセイは、他者の自己過大評価を題材に、情報発信における責任や価値の本質を探る内容となっています。筆者の冷静な観察力と自己反省を伴う視点が、エッセイ全体を誠実かつ説得力のあるものに仕上げています。同時に、読者に対して「自分の発信内容は本当に価値があるのか」と問いかける形になっており、読む人に思考を促す作品といえます。

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西田親生@D&L
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