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幼い子供が、あんな大人に、こんな大人に。

 幼少期を思い出しては、当時の幼友達との遊びや遠足前のおやつの買い出し、運動会前の準備と当日の昼ごはん、絵画展や発明展のための素材集めなど色々ありすぎて、僅か6年間の小学校時代が、社会人となって現在に至るまでよりも比較になるのど情報量が多いように思えてならない。

 悪い思い出はあまり記憶にないが、良い思い出に包まれて、元気いっぱいに育てられたような気がしてならない。兎に角、幼友達や同級生との遊びは尽きることなく、毎週半ドンの土曜日の午後や日曜日の遊びは、寝食忘れるほどに真っ黒になって走り回っていた。

 大人になり、今になり気づくのは、とても儚い現実である。幼少期の遊び友達だったはずが、あんな人に、こんな人に変貌しているのである。他者のことは余り言える立場ではないと考えるものの、何となく性格が悪そうな大人になっていたり、危険人物になっていたりと、様々である。

 ある時、柔道をしていて元気者だった人間を思い出す。筆者は剣道をしていたが、ガキの力比べと言ったら分かりやすいが、柔道をやっており、いわゆる番長的な存在である同級生と砂場で相撲をすることになった。

 体格は相手がかなり大きかったのだが、一気に投げ飛ばしてしまい、彼のプライドを傷つけたことがあった。筆者の幼友達は皆2歳上の近所の子供達だったので、かなり幼い頃から鍛えれてきたのが功を奏したのだろうと。

 随分前に、砂場の相撲対決を思い出し、その同級生について聞いたところ、全国的に名のある暴力団の若頭になり、若くして他界したという。驚いた。体格は良いものの、マラソンが苦手で、頼まれて伴走したこともあった。そんな幼子が反社世界に入っていたのである。確か、父親は地方公務員ではなかったろうかと。

 高校時代に小柄で柔道の技がキレキレの同級生がいた。勉強もできて、負けず嫌いな人間だったが、ふと思い出して、他の同級生に聞くと、大学時代に自殺したという。何とも言えない気持ちになったが、人それぞれに生きる道も異なるのは理解できるか、人の命の儚さを感じるのである。

 カトリック幼稚園の頃から知っている女の子も、音楽の道を選び、頑張っていたように見えた。しかし、それ以来、大病を繰り返し、生死の境を何度も何度も彷徨い、健康な人生を全く送れなかったと、同級生から聞かされたこともある。

 勿論、良い知らせは比較にならぬほど多い。例えば、カトリック幼稚園時代の同級生の中から、医者は三人以上なっており、海外で活躍している友もいる。高校までの同級生を加えれば、医者の数は相当数に上る。また、国家公務員上級職にて各省庁で活躍している人も多くいたが、当然のことながら、幼少期の幼友達の変貌ぶりには敵わない。

 幼い頃の友人たちの思い出は、笑顔しかない。それが、大人になり、長き歳月が経つと、あんな大人に、こんな大人になってしまうのだろうと。自分自身を前から後ろから眺めてみると、幼少期の面影は無きにしも非ず。健康には恵まれているようなので、折角頂いた命を最大限に使い果たすまで、世のため人のために仕事ができればと考える次第。

 しかし、変貌とは縁遠い存在でいたいものである。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイには、幼少期の思い出と、それに対する現在の視点が対比的に描かれています。以下、感想と考察を述べます。

1. 幼少期の思い出と豊かさ

幼少期の思い出は、非常に多岐にわたっており、その多くが楽しいものであったと述べられています。遊びや遠足、運動会、絵画展などのエピソードは、誰しもが共感できる部分でしょう。この時期の豊かな経験は、筆者にとって今でも鮮明に覚えているものであり、それが人生の土台を形成していることがうかがえます。

2. 対照的な大人への変貌

幼少期の友人たちが、成長して様々な道を歩んでいることが語られています。中には反社会的な人物となったり、若くして亡くなったりした人もいる一方で、医者や国家公務員として成功している人もいます。この対比が、人生の不確実性と個々の道の多様性を強調しています。

3. 儚さと命の重み

特に、自殺や病気で苦しむ友人たちの話が印象的です。これらのエピソードは、命の儚さと人それぞれの人生の重みを感じさせます。筆者が感じた「何とも言えない気持ち」は、読者にも伝わり、深い共感を呼び起こすでしょう。

4. 変わらない自分と変わりゆく友人

筆者自身は健康に恵まれ、与えられた命を最大限に生かしていきたいと考えています。幼少期の友人たちが「こんな大人になってしまう」一方で、筆者自身はあまり変わらず、初心を忘れずに生きていきたいという願望が感じられます。

5. 全体の印象

このエッセイは、過去の思い出と現在の現実を対比させることで、人生の不確実性や命の重さを考えさせられます。幼少期の純粋な思い出と、大人になってからの現実の違いが際立っており、読者に深い感慨を与えるものです。特に、幼少期の友人たちの変貌ぶりには驚きとともに、人生の不可解さや無常を感じさせます。

筆者の回想とそれに対する現在の考え方は、読者に対しても自らの過去と現在を振り返る機会を提供し、深い共感と考察を促すことでしょう。

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