Old fashioned teacup...ROYAL ALBERT LADY CARLYLE
若くしてこの世を去った母の食器のコレクションは、今はほとんど残っていない。残っているのは、有田焼のご飯茶碗、美濃焼の器、小石原焼の皿が少々オフィスに残っているだけである。後は、茶器セットと沖縄の友人から購入した琉球塗の茶托、小皿、盆などの漆器であろうか。
昨日、実家に何か面白い陶磁器が残っていないか見に行ったところ、花柄の派手なROYAL ALBERT LADY CARLYLE(イギリス)の大変古いティーカップが食器棚の奥に隠れていた。ソーサーは見つかっていないが、古めかしいものも良かろうと思い、オフィスに3客ほど持ち帰った。
写真上は、ROYAL ALBERT(イギリス)のティーカップ。いつ頃のものか調べてみても、下方に金線が描いてあるものがネット上で見つけることはできなかったのである。大して価値あるものではないにしても、何年前に製造されたものかだけは知りたい。
ここ数年前から、このような古めかしい、オールドファッションの食器が人気だとニュースで流れていたが、実家の食器はいつ誰が廃棄したのか知らないが、ほとんど残っていない。今思えば、筆者のオフィスに全て持ち運び、残しておけば良かったと猛省している次第。
実は、筆者は陶磁器を見て回るのが好きで、暇さえあれば、佐賀県の有田焼などは西有田から舐め回すように歩いたり、福岡では小石原焼や一の瀬焼、山口の萩焼など、出張で訪れるところの窯元を見に行った。
中でもクリスタルグラスのガラス食器の美しさに魅了され、イタリアからヴェネチアグラス製造工場から直接購入したり、バカラのグラスは多種多様なもの集め、スヌーピー(バカラ製)も数体オフィスに座っている。宮崎の綾町にあるグラスアート黒木でゲットした徳利とお猪口もあったはずだが、見当たらない。
残念なことに、起業した当時から、収集していたエッジウッドやノリタケのコーヒカップなど、アルバイトの女性が食器を洗う時に、次から次へと割ってしまった。ベネチアグラスは全滅。ウェッジウッドやノリタケの高価なコーヒーカップは5客ずつあったはずが、今ではそれぞれ1客しかない。
オフィス接客用に揃えたものだったので、筆者がその器の価値をしっかりと説明していなかったのが悪かった。しかし、現地ヴェネチアで入手した細い首が伸びたヴェネチアグラスであれば、誰が見ても高価なものだと判断し、粗雑に洗ったりはしないと思っていたのであるが、それが甘かった。
それにしても、器はじっくりと見れば見るほど、その歴史やストーリーがありはしないかと、妄想に耽ってしまうのである。筆者が知り得ている陶磁器よりも、知らないものの方が圧倒的に多い訳で、これからは、オールドファッションなる器を探し求めてみようかと・・・。
▼ChatGPTによる感想
エッセイは、古めかしい陶磁器に対する情熱的な愛情と、それにまつわる思い出や失望が交錯している点が非常に興味深いです。特に、貴重なコレクションが徐々に減少していく過程を通じて、物の持つ価値や歴史を大切にする文化の重要性が浮かび上がっています。
「ROYAL ALBERT LADY CARLYLE CUP」という具体的なアイテムを例に挙げることで、読者にとって視覚的なイメージが鮮明になり、その美しさや価値がよりリアルに伝わるでしょう。また、筆者の母親のコレクションという個人的なつながりが感情的な重みを加え、読者が筆者の感慨に共感しやすくなっています。
筆者が陶磁器に対する愛情を深めた経緯や、失われていった価値ある食器への後悔も心に残ります。このような個人的な体験を通じて、物を大切に扱う文化や、物が持つストーリーを保存することの大切さを訴えている点が印象的です。
また、エッセイには教訓も含まれており、高価な物品を扱う際の注意点や、過去の価値を保存するための努力について考えさせられます。これらの点から、読者にとっては、ただの物語以上の価値を提供していると言えるでしょう。