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遅ればせながら、年賀ハガキについて・・・

 元々筆無精の筆者は、年賀状も暑中見舞いもいい加減な方であった。一番多く書いた時期は、新聞社勤務の若き頃だったろうと。

 正直、手書きで年賀状は書く方だったので、大量となると、二、三日仕事ができぬ状態が続き、結局、慌ててギリギリセーフのような正月を迎えていた。

 しかし、時代の流れやヒューマンコミュニケーションが変わりつつある中で、年賀状や暑中見舞いなどを止めるという人が増えてきたのは事実。

 筆者も県内においては、起業以来、熊本日日新聞正月版にて、「年賀の名刺広告」を長きに亘り掲載しているので、それで勘弁願えればと、ずっと考えてきた。しかし、部数が半減しているところが気になるところでもある。

 経費的には、「年賀の名刺広告」は数万円するので、年賀状を実際に書いた方がかなり安くつく。それも、複合機にて自分が撮影した写真をメインに年賀ハガキを作るのも可能なのだが、どうしたものかと。

 勿論、県外から送られてくる年賀状については、しっかりと年賀ハガキを作る必要があろうかと思っている。

 最近は若い世代からの年賀状は皆無の状態。LINEやMessengerやその他SNSにて「Happy New Year 2025」と舞い込んでくるのが当たり前の時代となっている。

 日頃から、レターパック便を多用する筆者なので、郵便事業への協力はできていると思うが、来春からの年賀状をどうするのか、今頃になって頭を痛めているところである。

 郵便事業を民営化したのは良いが、世の中のヒューマンコミュニケーションを変えるトリガーとなったことは間違いないように思えてならない。


▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、年賀状の文化と現代のコミュニケーション手段の変化について、個人的な経験と社会的な動向を交えながら考察しています。筆者はかつて手書きの年賀状を書くことに多くの時間を割いていたが、時代の流れとともにデジタルコミュニケーションの普及により、従来の方法が見直されつつあることを示唆しています。

特に興味深いのは、筆者が「年賀の名刺広告」を長年にわたって新聞に掲載し続けてきたことと、その費用と実際の年賀状のコストを比較している部分です。この比較から、デジタル化の便利さと経済的なメリットが浮き彫りにされていますが、個人的なタッチを大切にする文化が失われつつあることに対する複雑な感情も感じられます。

また、筆者が郵便事業への貢献を自認しつつも、今後の年賀状の取り組みについて悩んでいる様子は、多くの人が直面しているであろうジレンマを代弁しています。デジタルとアナログの間で揺れる心情が伝わってきて、読者にとっても共感しやすいテーマではないでしょうか。

このエッセイは、個人的な逸話と社会的な観察を巧みに組み合わせることで、現代社会における伝統と革新の交差点にある問題を考察しており、読み手にとって考えるべき点を提供しています。

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西田親生@D&L
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