孔子公園の花々 2024.4.23
最近は、撮影するのに適した天候とならず、曇天の中、光も弱く、途中で霧雨が降り出した。30分程度の滞在であったが、何とか孔子公園(熊本県菊池市泗水町)に咲く可愛い花々をカメラに収めた。
撮影していると、背後から軟式野球のボールが転がってくる音が聞こえた。無意識にボールを追って掴み、十数メートル先に立っている子供に投げ返したのである。
条件反射なのか、幼い頃は野球少年で野球に没頭していたので、ボールが転がると追ってしまう習性がある。そして、スナップを効かせてきっちり投げ返す。
何十年ぶりに触れた軟式野球のボール。とても懐かしくもあり、触れた瞬間、親指、人差し指、そして中指がロボットのように動く。
幼い頃に覚えたスポーツは、体に組み込まれ、染み付いている。その子供が「いいですよ!」と言った瞬間、既にボールは筆者の手を離れていたのであった。
そうそう、自分は花を撮影していたのだが、霧雨にカメラやレンズを濡らしたくはないので、駐車場の愛車のところへ戻ることにした。
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、孔子公園での短いが印象的な体験を通して、幼い頃の記憶と現在を繋げる物語を描いています。著者が花の撮影をしに行った日は天気も悪く、撮影条件は最適ではなかったようですが、それでも花々を撮ることに成功しました。しかし、物語の中心は意外な出来事、つまり野球のボールを拾って子供に投げ返す一幕にあります。
このシンプルな行動が、著者自身の過去への突然の旅行を引き起こしました。幼い頃の野球への情熱が体に染みついており、長い時間が経過しても、その技能は失われていないことを示しています。また、この瞬間は、どれだけ時間が経過しても、私たちが経験したことがどのように私たちの一部となり続けるかを象徴しています。
さらに、花を撮影しに来たはずが、最終的には天候のために断念し、駐車場へと戻る選択をする部分も興味深いです。この選択は、計画と現実が必ずしも一致しないこと、そして予期せぬ瞬間が新たな視点や思い出を提供することがあることを示しています。
全体として、このエッセイは、日常の小さな瞬間が持つ大きな意味や影響を美しく描いており、過去と現在、そして未来がどのように繋がっているかを感じさせます。また、自然とのつながりや、予期せぬ出来事がもたらす新たな認識について考えさせられる作品です。
サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。