演劇の力、というけれど
好きな芸術団体や芸術家の公演にいくと、自分の大切にしていること、自分の軸、芯にたちかえることができます。迷いがあっても、すっと両足で自然と立てる、そんな心持ちになります。
そのうちのひとつは、沖縄の演劇の団体、ACOおきなわ。
ご縁があり、代表の下山さんと渋谷でお会いしたのは2017年ころ。その後2020年に沖縄に移住し、ACOの公演を観に行ってから、(演劇がどちらかというと苦手な私が)大いにファンになりました。毎回公演を観に行くようになり、戦後復帰50年の一連の作品もすばらしかった。コミカルなものも、テーマ性の重く深いものも、どれも心を打たれました。「劇場はぬちぐすい(命の薬)」の言葉どおり、観劇後、とても元気になるのです。ACOおきなわのすばらしさを家族や友人にも勧めてきました。
そして2024年6月、「洞ガマ窟」(ガマ、と読む)をみました。
おそろしかった。今までのどのACOの公演と見比べても、衝撃的におそろしかった。
そしてそれによって改めて、私がかれらの演劇に惹きつけられる理由がわかった気がしました。
かれらが演劇をする理由を、いつも劇場の底から、人から、公演から感じるからなのだと思います。
前回の記事「自分のためだけにコンサートに行くのを辞めようと思った」とつながるのですが、この気づきを残しておきたいと思います。
「ガマ」ほどに、打ちひしがれる2時間半は今までありませんでした。浅薄な芸術経験といえばそれまでなのですが、読書でも映画でもない、このおそろしさ。演劇の力というのは、こういうことか、と思いました。
まるでトラウマにならないギリギリの戦争の追体験をするようで、観ていられないのです。率直に言って、脚本、演出や演技、美術の細かな点で入り込めないところもあったけれど、その余白があったから、なんとかトラウマにならないのだと思えるくらい。
ちょうど6月10日に、佐喜眞美術館を拝観し、その時に「沖縄戦の図」をみたばかりでした。ガマでの集団自決、日本軍による殺傷などがより鮮明に立体的にみえたのかもしれません。
ガマで一人一人の人が変わっていく、狂っていく、狂わずに生きようとしても死んでいく、その有様が2時間半に凝縮されて、直視ができませんでした。
でも演劇は、直視せざるをえない。
音楽は耳から入ってきてしまうので防ぐことができないと言われることがありますが、演劇はどこからも、まぶたから、毛穴からでも入ってきて止めることができないのです。今まで観てきた演劇の力っていうのは最大限の力ではなかったのかもしれない、これが演劇なのかと、途中から涙が止まりませんでした。
最後、知花さゆりさん演じるお母さんが、白旗をあげてガマから出ていく中、うちなんちゅに撃たれてしまう場面は、共に絶望を味わいました。
観劇後、ガマの空気を生で体験してしまった私は、そこに希望を感じることができませんでした。
しかし、帰りに車を運転し、ゆっくり咀嚼していく中で、それでも生き残った人がいて、その孫が県外からきている、という最初と最後のあり方が、ほぼ反動のように、おそろしさと全く同じくらい非常に強い希望をもたらしてくれました。
その日、ひめゆりピースホールの隣の席には、ひめゆり学徒隊出身の方たちが観劇にいらしていました。
佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」では、制作者の丸木夫妻が、戦争体験者の目の前で、彼らをモデルにしながら描いていったという事実があります。歴史のウィットネスの前でそれを描く、演じるということには大変な覚悟がいること。
ひめゆり学徒隊の彼女たちは、終わった後、淡々としていたように見えましたが、実際、どうだったのだろう。
演劇の力とか、芸術の力とかいうけれど。言葉にすると逃げていく、そういうもの。
この演劇は、それでもやっぱりすごかった。わかるとか、わからないとかではなく、感じることの大切さに浸った一日。毎日、これを時に2公演する演者、スタッフのみなさんに、本当に敬服しました。
一方で、戦争に関心のない、沖縄に関心のない人たち、若い人たちにみてもらえるかというと、ハードルが高いかもしれない。でもたぶん、平和記念館に行くよりも、瞬間のインパクトはすごいと思う。どう伝えるか、どう届けるか、観客としてのわたしも、どうするか。ただ観た、という以上のことが重要とは思えなくても。一人一人が丁寧に向き合えば、より濃く、より深く、演劇の力は、広がると思う。