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十二月二十二日

「おはよう」

カーテンを開けると、ガラス扉は露に濡れていた。
冷たく、固い。
ほんの一瞬、呼吸のためにその戸を開く。
まだあたりは暗い。朝の気配も、ずっと遠いところにいる。

太陽の時間が一番短くなる、折り返し地点を過ぎた。
2020年12月21日。そして、22日。
この日は特別なのだと、幾人もの人たちがSNSに投稿していた。
土の時代から、風の時代に変わるんだよって。

そういう「時代の節目」みたいなこと。
可能性のようなものを、ともに言葉にすることを
必要とする空気が、いま、この地球を包んでいるように思う。

「世界が」って言ったとき
その「世界」の姿・展望は、人によってとても違う。

「世界」という言葉は
「わたしたち」の共通の土台であるようでいて
「わたしたち」をもっともお互いから遠ざける概念かもしれない。

そんなことを思うから

「確かさ」に触れるため
わたしが今たよりにしているのは、
陽の昇る時・そして暮れる時
移ろいゆく風景の中(いま・ここ)を、確かに感じられる時刻。

呼吸の静けさに
耳を傾けられる時間が好きだ。
まだ誰も目覚めていない
いたとしても、空間のもつ気配をかき消さないくらいの
静寂に満ちた清涼のとき。

「おはよう」

夜があけ辺りが 白んできたころ、
わたしは再び、ガラス扉をあける。
「シャー」という音をたてる、カーテンの向こうに。

お湯をわかしたり、服を着替えて髪をとかしたりしているうちに
みるみるうちに、ひかりと、人間たちの気配で
みたされていく空間。

出逢い・つながり・同じ時間を生きている。
ーはずなのに

ニュースから届くのは
「世界」と「地球」が、違ったものに思えるスペクタクル。
終わりのない掛け算のように。

「おはよう」
「さむいね」
「ねえ、今日は何をたべた?」
「よく眠れたかな?」

扉をあける。そして閉ざす。
違う空気を身体に取り込む。
マイナス五度と、プラス二十五度と。

ぬるめのお湯で珈琲をいれる。
「沸騰させるより、そのほうがおいしいよ」。
あなたの声を記憶に響かせ
カップを手にする冬の日のキッチン。

ここに猫がいたらいいのに。

伸ばした手がそっと触れるくらいの
やさしいクッションのような、あたたかな鼓動。

(そして光の眩しさのなかでちいさくくしゃみをしよう)

世界と地球と
あなたとわたしが一緒にいると、感じていたくて。

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