十一月一九日
写真を撮るために立ち止まる人の姿を思う。
風景をデジタルに収めて、誰かに届ける人の姿を。
フィルムしかなかった時代、「みて、これ!」と、即座にその光景を相手の手元に届けるという発想はなかった。
手のひらから、手のひらへ。お互いがリアルタイムにネットワークつながっているときに発生するキャッチボール。
風景が綺麗だからというより、誰かに届けくて、つながりたくて、美しい風景がくれたきっかけを、喜んでいるのかもしれない。そんな風にも思ったり。
スマートフォンのシャッターを押しながら。私という存在はどこにつながっているのだろう。その確かさはいったいどこにあるのだろうと、ふと、考えてしまうのだ。
何かを好きという気持ちは、どこにつながっているのだろうかと。
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