三月二十日 巣くう
車が坂道を登っていく間、私は助手席の窓からずっと空ばかりを見ていた。
まだ葉っぱのついていない木の枝のトンネルの向こうに、夕方にむかう空の色が見える。坂がくるくる曲がるのに沿って、くたびれて力の抜けた身体が遠心力のなすがままに揺さぶられる。
(酔ってきちゃった、窓をもう少し開けてもいいかな?)
尋ねてみると(もうすぐつくよと)前を向いた彼の声が応えた。その声がどこか得意げに響いて、私は思わず笑ってしまう。ありがと。疲れたよね。朝からずっと、重たい荷物を動かしてもらっちゃったもん。
(全部あけるのは諦めようよ)と、私はリビングの窓を開け放っていった。
あと20個もあるんだよ。朝からずっと荷物の整理ばかりで、まるで段ボールが主役みたい。主人のはずの私たちが、これじゃまるで荷物の僕みたいじゃないと、私は疲れてぶつくさという。でも早くこれ片づけておいた方が落ち着くし、新居の暮らしが軌道に乗るじゃん、と彼。引越しってそういうもんでしょ。ん、まあそうだけど。あー、いいよいいよ、疲れてるなら休んでなよ。ん。あ、でも、隣で作業している人がいるのに私だけ休んでいるのも居心地が悪いし。
だから一緒に、散歩にでようと決めたのだ。
車に乗って、どこか、見晴らしのいいとこへ。途中、自販機でレモンスカッシュを買って。
東京で暮らしていた頃、私たちはよく車で遠くにでかけた。電車に乗るとどこもが日常風景のように思えたし、誰かに出会ってしまう気がして、なんだか気持ちが落ち着かなかった。この街ごと離れたところに行きたい。そういう気持ちを共有していることに気づいたのとつきあい始めたのがだいたい同じくらいで、いつの間にか私たちは(東京じゃないどこか)でのふたりの暮らしを描き出していた。
私たちの始まりは、今いる景色へのさよならから動き出したのかもしれない。
(はい、到着)と車が止まった先には、遠く、向こうの山まで見える風景が広がっていた。
(知らなかった!こんな場所あったんだ)
(こういうところを見つけるの好きだから)と、彼がまた少し得意げに笑う。その得意げな感じが、小学生がプラモデルを完成させた時みたいでかわいいとついからかったら、不思議な顔をして笑われたっけ。(つまり、少しも嫌な感じがしないってことね)と私はあわててつけくわえる。(それ、ほめてるの?)と彼が笑う。(月が綺麗ですね)と漱石が言った言葉は、私たちのなかにはこんな風に転がっている(と、少なくとも私は感じている)。
愛着のある場所がまだないから、どこかに出かけるときの目印はつい、イオンの看板だとか、ガソリンスタンドのある交差点だとか、自動販売機だとかになってしまう。黒崎さんのうちとか、かおりちゃんのおばあちゃんの家とか、故郷によくあるような固有名詞を持った場所は、まだここにはない。
(いつになったら、ここが私たちの街になるだろう)
言葉にしようと思い、なぜか一瞬不安になって、声にするのはやめることにした。
いいたいことはたくさんある。伝えるための時間も。そのなかで私たちは、手にするものを選んでいく。
どこからか白い花びら舞い降り、地面に落ちた。
(あ、さくら?)
(そうだね、お腹がすいたね)
(もう!)といって、ふたりで笑う。
どこか遠くで、野球のような音が響く。
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