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荒川弘先生と諫山創先生の対談の感想です。(別冊少年マガジン7月号掲載)「取材力」・「知識の大切さ」・「作中のエゴ」・「キャラの生き様の描き方」のお話が印象に残りました。

 荒川弘先生と諫山創先生の対談、実現が決まったときはとても嬉しくて、発売日を楽しみにしていました。同じマガジンに連載していることもあり、いつかどこかで絡みが見たいと思っていたので。(以下、苗字と先生で呼ばせていただきます。)

 また個人的に嬉しかったのは、諫山先生は「鋼の錬金術師」のファンだったということです。諫山先生が生まれた年代を考えると、学生時代に読まれていたのかな、とは思っていましたが、直接諫山先生から言及があると、とても嬉しいです。

 今回の対談について、以下、「取材力」・「知識の大切さ」・「作中のエゴ」・「キャラの生き様の描き方」について、感想を書きました。

1. 「取材力」について
 取材については、荒川先生は主に文献から、諫山先生は取材はしないが、過去の作品から影響を受けることはあるとのことでした。
 荒川先生は「鋼の錬金術師」でのイシュヴァール殲滅戦を描くために、戦争経験者に取材をしたというお話を伺いました。(インタビューで、「戦争経験者の方は、『戦争を経験してしまったら、戦争映画やフィクションなんて見れません』と仰っていた」ことが刺さりました。) 
 一方、「進撃の巨人」がラストのエレンやアルミンの言葉で、「戦争や民族虐殺容認か?」と受け取られてしまった理由と、ラストの地ならし後の世界やキャラの描き方に違和感やモヤモヤがあった理由が何となくわかったような気がします。
 私は、「作品を書くなら取材はすべき」と言っているのではありませんが、「進撃の巨人」では、「パラディ島側の罪」と「マーレ側の罪」の描かれ方にムラがあったように感じます。どうしても前者の罪が後者の罪よりも「軽く」描かれている感じが拭えないのです。※最初はパラディ島視点で描かれたことが影響しているかもしれませんが。
 「立場が変われば『正義』は変わる」ことは作中での大きなテーマでしたが、最終的には、「虐殺が主人公側(パラディ島側)の絆を深める舞台装置になってしまい、作中で掲げてきた正義も、そちら側へ偏ってしまった」ように感じました。勿論、諫山先生の作画力・物語の構成力は凄いです、しかし戦争や民族虐殺のような現実世界にも繋がるであろうセンシティブなテーマを扱うなら、歴史的出来事の文献や経験者に取材をし、多角的に視点を増やして、「その表現は読者がどう受け取るだろうか?」といった様々な立場の読者に配慮しつつ、物語に落とし込む必要があったと思いました。

2. 「知識の大切さ」について
 諫山先生は、「アルスラーン戦記」で、「本を焼く」シーンに負の感情が伝わってきたと仰っていました。荒川先生は「知識はどんな場所でも生き抜く手段であり、同時に相手を知る手段です。」と仰っています。相手を知らないからこそ恐怖や蔑みは生まれる、相手を許せるか許せないかは別にして、常に相手に歩み寄って理解しようとする姿勢は、いつの時代も問われていますね。

3. 「作中のエゴ」とは
 諫山先生には、「壊したいエゴ」、「文明や人間を壊したいのではないが、めちゃくちゃなことをやらかしたい」お気持ちがあるようですね、私は終盤でそれは強く感じました。
尚、諫山先生のご実家には「ゲルニカ」が飾られていたそうですが、中々エキセントリックです。本人を作る要因の一つは「周囲の環境である」と感じるエピソードでした。
 荒川先生は、作中のエゴとして、「アルスラーン戦記」と「銀の匙 Silver Spoon」にある、「身の危険を感じたらとにかく逃げて生き延びる」こと、「集団よりも個を大事にする」ことを挙げています。
 反対に、「進撃の巨人」では、「集団を生かすために個を死なせる」「戦え、戦え。」がテーマの根底にあります。御二方とも、真逆な価値観というのは中々興味深いです。

4. 「キャラの生き様の描き方」について
 諫山先生は、「最終回では、キャラを描くのが最後だったので、キャラクターに入れ込みすぎてた」と仰っていますが、これはそうだろうなと思いました。エレン=先生な感じはしていました。また、「作中の一連の戦いはアルミンに止めてほしかった。最後の方はもう少しページを割くべきだった」も同意です。先生は「139話に拘りがあった」のかもしれませんが、私としては「そこに縛られたことで、取りこぼしたことが多かった」ように感じました。※飽くまで、一個人の意見なので、異論は認めます。
 荒川先生は、「ネームはキャラクターありきで考えます。原稿作業で神視点に切り替え、客観的にキャラの動きを見るようにすると、敵側への同情、客観的にキャラクターを眺めたときの感想が生まれます。」と仰っています。
 「鋼の錬金術師」での戦後処理について、「マスタング大佐は戦争責任者として罰せられる覚悟を持っているからこそ、エピローグの写真の彼は笑っていません。戦に加担した人間は、簡単に全てを「解決」はできません。アルミン達にとっても、本番はこれからでしょう。」そうなんです、本当に「大使の具体的な行動、それに対する民衆のリアクション、それでも試行錯誤しながらも、泥の道を歩きながらも前進するアルミンら大使達が見たかった」!
 荒川先生は、「作中でのキャラの死」について、「キャラを「利用した」側として、せめてものの死に場所を与える、何かしら意味のある死であってほしい」と仰っています。本当に、「鋼の錬金術師」も、「アルスラーン戦記」も死亡退場は多いですが、本当に「無駄なキャラ」がいない。本当に、1キャラにつき、最低1つは活躍の場がありました。キャラ達からは、何気ない行動が解決の糸口になるかもしれない、そのために一歩を踏み出す勇気を貰いました。
 諫山先生も「『キャラの葬式』は、せめて多くのページを割いて、今まで積み上げてきたものを載せて、立派な棺と花を添えて弔いたいですね。勿論、全てのキャラに出来ないのは残念です。」と仰っています。もしそれが実現できるなら、膨大な量の沢山の棺と花が必要になりそうです。個人的には、生存者が死者を悼むシーン、寄り添うシーンはもう少し丁寧に描いていたら、「死亡キャラの扱い」に納得できたかもしれません。※勿論、サシャの墓のシーンは丁寧に描かれていましたが、正直こういう描写は、主人公側に偏っている気がしました。

 荒川先生がお好きなキャラは、ハンジさんとザックレー総統だそうです。ハンジさんは、中の人が「鋼の錬金術師」の主人公のエドワード・エルリックと同じ朴璐美さんです。また、ザックレー総統の老獪ぶりは、何となくグラマン中将に似てる気もします。一度、2人の対談が見たいです(笑)ここにキング・ブラッドレイ大総統がいたら、お二人とも命の保証はありません。巨人なら女型・車力・キヨミさん・サシャもお好きとのことです。
 個人的には、一度、巨人・パラディ島兵団勢・マーレ軍vs錬金術師・ホムンクルス・中央軍・ブリッグズ軍・シン組の全面対決が見たいです。最後は始祖エレンとお父様のタイマンバトルに発展しそうです。これでは、地球が幾つあっても決着がつかなさそうです。
 諫山先生のお好きなキャラはギーヴだそうです。一度、アルスラーン戦記のエンドカードに登場したのを覚えています。彼は、一見倫理観や正義を背負っていないように見えるが、彼なりのそれらを持ってアルスラーン殿下にお仕えするところが良いとのことです。
また、ギスカールも苦労人で肩入れしてしまうそうですね。
 また、アルスラーン殿下とアルミン、エレンとヒルメスは気が合いそうなので、こちらの対談も見たいです。

 今回の対談は読んでいて、とても面白かったです。「進撃の巨人」は、アニメで確かめたい場面がありますので、冬の放送が楽しみですし、「アルスラーン戦記」も続きが楽しみです。アニメ放映も待っていますよ!