母も人間だ
生まれてから50年、母をこんな風に感じたことはなかった。
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私と母との関係性における問題は、今世での課題でもあり、なんとかして打破したい、解決したい問題でもあった。
その問題とは、私の幼児期から続く嫌悪感、憎しみ、恨み、どんな言葉を使い尽くしても表現できないような、どうしようもない暗黒のエネルギーが私の中にあった。それは猛獣のようでさえあった。
それが、あっけなく消えた瞬間。
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母は話した。
彼女が生きてきた人生の一部。
そしてまた一部。
彼女のその過去に体験したことを聞いているうちに、母のあらゆる新しい面に気づく。
それはとても臨場感があり、またとても新鮮に感じた時もあった。
知らずしらずの間に母の人生話に引き込まれた私は、だんだんと母の人間性、いや母ではなく人間としての一人の女性を垣間見ているようだった。
目の前で一人の女性が苦しんでいる。
自分を鼓舞して立ち上がっている。
そしてその自分を認め、慰めている。
聞いているうちに目頭が熱くなる。
心臓のあたりがもぞもぞと暖かい。
わたしが想像を絶する世界に生きた彼女。
その女性が私の目の前にいる。
それは母ではなく、人生を生き抜いてきた老いた女性だった。
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肉親を含む他者は、わたしたちの幼児期にさまざまな思い込みや観念を植え付け、目の前の現象を歪めた現実として捉える根本であることは確かだ。
しかも、わたしたちに思い込みを植え付けた張本人たちでさえも同じ現実に苦しむというこの世の性。
しかし、わたしたちは「その思い込みがあること」に気づいていくことが大切で、それ無しでは、同じ【現実】を無意識的にグルグルとループして繰り返しているだけ。
このループを抜けたところに全くの新しい世界が待っている。
新しい世界とはあなた自身の感じ方そのものなのだ。
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わたしの気づきは始まったばかりかもしれない。
わたしのようにヒネくれていて、イジケものでも、そのような新しい視点や感覚を育むことにより、今までどう踠いても難しかった「母親を許す」プロセスを体験することが可能であるということを是非お知らせしておきたい。
この私の体験が多くの母娘問題に役立てば嬉しく思う。
今日、この記事を書きながらも、このような気づきを与えてくれた母に感謝をしたい♡