負けて、残るもの。
「負けました」
自らの声をもって、その勝敗を終わらす将棋。震えた声が印象的だった。
映画『泣き虫しょったんの奇跡』。勝ちが足らずにプロになれず、20代で将棋を離れた主人公しょったんが、日本将棋連盟のルールを覆し、35歳で再チャレンジをしプロになる、という物語。
夢を持って挑戦をしてきた人なら、おそらくどこかしら感情の琴線にふれる作品だったと思う。これは、あきらめなければ夢はかなう、といった簡単な物語ではない。
主人公のしょったんは、小学生のころから将棋しか興味がなく、プロ棋士になることしか考えてなかった。
しかし将棋は、26歳までにプロ試験に受からなければ、実力にかかわらず連盟を追い出される。しょったんは、タイムリミットまでの残り2年間、こともあろうか将棋から逃げた。仲間と賭け事したり、ごろごろしたり、飲んだくれたり…孤独に将棋と向き合わなかった。それでも、なぜか受かることを信じていた。というか落ちることを想像できていなかった。目を背けていた。
結果、26歳で奨励会を抜けたのだが、私はこの後の、プロにはなれない現実の中で将棋を辞めなかったしょったんに、けっこう心が打たれた。
勝つか負けるかだけの世界でいると、「好き」や「正義」などのプラスの感情をどうしても捨て勝ちになる。だって仇となるから。そういう人間らしさを持ちながら他人を負かしていくのは、きっと、想像以上にきつい。ズバズバと切りつける人斬りが、繊細な心なんぞ持って生きていられないのと同じである。どんな勝負であれ、だれかの屍を越えていくしかない。人生がかかっているものであれば、なおさら。
しょったんは、将棋が好きで好きでたまらない普通の優しい人だ。だから、ただ「勝ち」にこだわれば、将棋が嫌いになっていたかもしれない。だとすれば、仮にプロになれたところで、将棋が好きだがらプロになりたいという、本来の夢が敗れることになる。
将棋から逃げて仲間と遊んでいた時期、彼が目を背けたものは、「本当に好きな将棋をし続ける」ということだったのかもしれない。勝つための、血なまぐさい将棋をしたくない、でも、勝てないとプロになれない。そのはざまで、向き合うことから逃げた。奨励会から抜けた。
しかし、将棋はやめなかった。プロ、アマなんて関係なく、将棋をさすことが好きだったのだ。そして結果、その「好き」を心に抱いたまま、35歳でプロになった。たくさんの人の支援のもとで。やさしいしょったんのままで。
何も捨てず、何も否定せず。しかし、これまでとは違う、「力強さ」がそこにはあった。一度なくしたからこそ、残ってるものに気づいた。それは彼の芯である。勝負師として価値のある、本物の芯。
人生なんてもんは、負けることの方が圧倒的に多い。煮えくり返るほどのくやしさが、その人の本性を暴く。そして、どう進んでいくかを決めていく。でっかい「負け」を胸に刻んだしょったんは、やさしいまま強くなれた。
一度夢破れた人が、35歳で再チャレンジする。それを応援しない理由なんてない。
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