近
写真集 京都のことを京師と言ってみたいだけ
各所にて見聞きし心気に残りたる語を列記。特段分類せず随時追加しおる。
芥川龍之介『羅生門』の結末「下人の行方は、誰もしらない。」の続きを創作。 ◇ ◇ ◇ 下人はいったん洛外まで逃れたが、日が昇ると洛中の市場を目指した。 一人の通りがかった男が立ち止まった。その着物に見覚えがあると言う。 「どこで手に入れた?」 「教える筋合いはない。買わぬなら去ね」 下人は男を追い払いたかったが、男はなかなか引き下がらない。 「買えば明かすか。いくらだ?」 下人は男の謂を本気にせず、気まぐれに、暇を出されるまでもらっていた月毎の給金の十倍
各所にて見聞きし心気に残りたる語を列記。特段分類せず随時追加しおる。 家産が破れる 破れ傾く 落魄する 斉えて ととのえて 実見譚 じっけんたん 利れ者 きれもの 定府 じょうふ 江戸表 えどおもて 国表 くにおもて 御公辺 ごこうへん ※「御」は付さないことのほうが多い模様 松枝 まつがえ 嫡子@@をして家門相続を成さしめ ちゃくし@@をして かもんそうぞくをなさしめ 死に処を得る 物言う鳥のごとく 商腹 あきないばら 熨斗を就けて厄介払い
再放送のNHK大河ドラマ『太平記』。物々しく堅苦しい台詞で時代劇らしさを満喫。 御鞠を好ませたもう世は国栄え皆福有り。(第1回より) 弓を取りては無双のお方と見える。おん(御)いでたまえ。(第2回より) 第3回は、書ききれません。 前年度の『葵徳川三代』。途中から見始めてはまってしまった。鷹揚な家康の前で家臣たちが喧々諤々。 「構えて〜致し申す」云々。 これ推しに言わせたい。ちょっと楯突く感じで、言われたほうも当然ムッとしている。ケンカップル好きなもんで。
かばい合う二人…ではなく、主語の話。 作文の授業で「私は」と書き出すのがいやでしかたがなかった。かっこ悪いくらいに思っていた。実際は「私は〜」と書き始めたことなどいくらでもあったと思うが、「他にないの?」と今の自分が「私は…」を文頭に置いた小学生の自分に詰めよっている。 今だって普通に「Aは〜」と始め勝ち。BL的には「攻は〜」、時代小説だったら「甲は〜」かなぁ。横道に逸れまして失礼。 主語で始めるのは悪くないというか、主体を明示するためには必要である。ただ、次の書き出し
幕末期の話を書いている。台詞の外来語の表記をどうするかが目下の懸案である。 例として、 photography =写真の「ホトガラヒー」。これを片仮名で書くか、「ほとがらひー」と平仮名で書くか。それに語尾は「ヒー」か「ヒィ」か。 あるところでは長音がない「ホトガラヒ」、さらには「ほとがら」という表記も見た。 幕末維新期の外来語は、総じて綴りよりも聞いた音に近い表記をしている印象がある。現代の表記に慣れた目で見ると、たどたどしい、不慣れな感じがする。この不慣れ感を、推しの
アラフィフの腐女子。2次BL妄想字書き8年目。歴史系多めのいわゆる温泉。写真植字業経験者。表記用法語順に迷いて立ち止まること頻り。
三密ならぬ三フ。フは腐女子の腐、アラフィフのフ、主婦の婦…? アラフィフでなくなっても腐女子→腐女子の魂百まで→腐女子は灰になるまで。