私が信じたい価値がすべて。
ワークショップをひらけばひらくほど、
見えてくるものがある。
感じるものがある。
その1つに、教育業界に3年つかっている私は「教育」という言葉に固執してるんじゃないかという疑念が浮かび上がってきた。
私の理想の教育の場=自分を好きになる/肯定するきっかけとなる場
である。
自分の可能性を信じられる限り、何にでも挑戦できるし、やりたいことができるし、周りも応援してくれるし、人生楽しく生きられると思っている。
そして、私はそのきっかけを学習塾でつくろうと3年間試行錯誤してきたわけだが、もっと私の得意&好きとするアート/ものづくりの世界でやっていきたいなと思い、今の活動「お絵描きワークショップ」がある。
そこで私が実現したいことは「自由に表現できる場」であり、その場づくりを通してもっと日常で自己表現をするきっかけ&もっと自分を好きになるきっかけを作りたいと思っていて、その言語化した理想を胸に場を作ってきた。
けど、どうしたら言語化した理想の教育の場に近づけるのか、具体がよくわからず、ろくに場に介入できないまま会を終えてはモヤっとする日々を過ごしてきた。
そうして、半ば投げやりで一旦言語化した理想を脇に置き、新しい気持ちでチャレンジした3回目にして感じたことは、今までとは別の感覚だった。
それは
私の作った空間は
①自由な自己表現をする機会
=自分の「好き」を表現する
=もっと日常的に自分を表現したいと思うようになる
☞自己表現する機会が増える
という以外に、
②家族のコミュニケーションをとるきっかけ
(共同作業を通して家族/夫婦で笑い合う時間)
③お気に入りをつくること
であるということ。
②は忙しなく回る日常ではそうそうないけど、家族の仲が温まる場であり、③はお気に入りを作ることでそのモノを大切にするし、それを作ったのが自分(ないしは家族)という点で、それを通して自分や家族を好きになる。
なんだか、シンプルにいいなあ、と思った。
これを言葉にして気づいたのは、この「なんだか」とか「シンプルに」っていう発想をしばらく置いてたなあということ。
この3年間は意味とか価値とかなんのためにとか必死に考えてきたし、それ自体に価値があったと思っている。
けど、今回感じた「なんだかいいなあ」と直感的に
感じたものを忘れちゃいけない気がするし、ここにもまた価値があるんだろうなと思った。
私の固定観念が外れた気がする。
「教育教育教育...」と言ってきたけど、もう少し視野を広げてみてもいいんじゃないかと思ったし、視野を広げるってこういうことなんだと思った。
何かこれだというものを「決める」ことは
視野を狭めることに値するんだと。
そして、何より価値があるとかないとか、結局は自分がそれをどれだけ信じるかどうかだと思った。
世の中には事実しかないんだから。
なんて。
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