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【DWK】 ONLINE DIALOGUE Vol.8 -松楽 昭楽窯 佐々木虚室氏

こんにちは。DESIGN WEEK KYOTO (以下、DWK)の岩口知加です。

7/1、DWK ONLINE DIALOGUE Vol.8 を開催しました。本日はその開催報告をお届けします。なお、YouTubeには対談の様子がアップされていますのでご興味のある方はぜひこちらもご覧ください。

今回のゲストは、
松楽(しょうらく) 昭楽窯 佐々木虚室さんです。

松楽さんが作られる「楽焼」は、茶道のためだけにつくられた茶椀で、茶の湯を大成した千利休の美意識の最高峰と言われています。

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▲楽焼

松楽さんは1905年日露戦争の時、清水寺の門前で初められて、1944年京都市内から疎開をかねて亀岡に移住されました。なぜ亀岡かというと、亀岡に窯の材料があったのですが、当時の流通状況が悪く、京都市内まで燃料の木材が運ばれずかつ市内では窯が焚けなくなり、移動してきたそうです。

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▲亀岡の自然豊かの中に、松楽さんはあります。

今回の対談では、樂焼の歴史から特徴、そしてなぜ4代目の佐々木さんは松楽さんを継いだのか等お話いただいてます。

また楽焼のとても面白い部分であり、茶道のためだけに作られたという事が分かることがあります。それは茶椀を焼く時間です。

普通の焼き物は通常は24時間、長ければ60時間(登り窯では1-2週間)焼くのですが、何と樂焼は 3分半!
なぜかと言うと、焼く時間が短いと中がレアなので、断熱材になって熱湯を入れても熱さが伝わりにくくなっているからなのです。
いやー、本当に茶道のためだけにつくられた茶椀ですね。
(もし長い時間焼くと固くなって熱伝導率が早く熱くて持ちにくいそうです。)

■今回のトーク内容
①楽焼・昭楽窯について
~なぜ京都市内から亀岡に移動してきたのか~
②樂焼について
〜茶道具のためにつくられた貴重な焼き物〜
③4代目 佐々木さんについて
〜いつ頃から継ぐことを考えていたのか〜
④コロナ渦で再認識したこと
〜戦中戦後でお茶を嗜む人はいなかったが…〜
⑤つくり手としてのやりがい
~自分がつくった茶碗で誰かがお茶を飲んでくださる時が最も嬉しい瞬間~
⑥今後取り組んでいきたいこと
〜樂焼の本質を海外の方にもっともっと伝えたい〜

今回の対談は、楽焼についても勉強になりますが佐々木さんのお人柄もよく分かります。話も面白く、次世代の教育に関しても熱心です。

私が印象的だったのは、このエピソードです。

琳派400年の時、佐々木さんが福知山中学校での特別授業で、「京都の博物館で琳派というすごい文化が京都の博物館で見れるんだよ」とお話されて、後日中学校の先生から子供たちが皆で行ったという報告を聞いたそう。
(実は会期が始まってなかったそうなのですが 笑)

「わざわざ福知山から京都市内まで電車に乗って、、とそのきっかけを作れたのが嬉しかった。」という佐々木さんの笑顔がとても優しいので、ぜひ動画でご覧ください。

▶トーク動画はこちら

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