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自由を尊重する社会は無秩序か?

すでに別の記事にも書いているが、私にとって自由を尊重する国オランダでの生活は心地良い。

以前、友人から

「自由な社会って、無秩序になって混乱しそうなイメージがあるんだけど、実際はどう?」

と聞かれたことがあった。

私はスーパーでの出来事を思い出した。


スーパーに行くと、支払う前のパンやリンゴをかじりながら買い物をする人を見かけることがある。

買い食いではなく、買う前食い。捉えようによっては、イートイン 。

その光景が頻繁に見られる地域もあるようだが、私はふた月に1度ほど目にする。

最近、また支払い前のパンを食べながら買い物をする人を見かけたので、私はその人をレジまで追ってみた。

スーパーには何人もの店員がおり、支払い前のパンを食べている人のことも見ている。

でも声をかけて注意するそぶりは、ない。

ということは、このスーパーでは忘れずに支払いさえすれば、買う前であっても商品を食べることが黙認されているということになるかもしれない。

パンを食べた人はレジを打つ店員に「これもね」と言って、口にくわえたパンを指差す。

レジ担当者は表情を曇らせることなく、「次からは食べないでくださいね」などと注意することもなく、サっとパンの料金を登録して合計金額を提示する。

パンを食べた人が支払いを済ませると、店員とパンを食べた人はお互いに「良い一日を」と言って別れた。


支払い前のパンを食べる人を初めて見た時、私はとても驚いた。

あとで支払うとしても支払い前のものを食べることは、してはいけない行為だと私は個人的には思っているが、少なくともこの地域ではそれは許容される行為なのだ。

食べたい人は、他のみんなが食べていなくても食べるし、
食べない人は、食べている人がいても食べない。

買い物客は皆レジの前に一列に並び順番を守る。

おしゃべり好きなお客が店員と話してなかなか先に進まなくても、プレッシャーをかけることもなく、みんなじっと待っている。

できるだけ待ちたくない私は、セルフレジを選ぶ。

みんな自分で考えて自分で決める。


他にスーパーで気になることといえば、小麦粉の袋や牛乳パックの角などが破れている物をよく見かけることだ。

日本では破れた商品は棚に置かれないだろうけれど、こちらでは破れている物もいない物も一緒に棚に置いてある。

常にそうなので、お店側には、破れたものを棚に置かないという規則はないように見える。

だからお客は、買う前に商品の状態を自分で確認する必要がある。

以前、私は商品の状態を確認せずに小麦粉を買い、帰った時にカバンの中が大惨事になっていたことがある。

破れた実物を店に持って行けば新しい商品と取り替えてくれるということを、私は最近知った。

みんな自分で買うものを自分で確認して買っている。

スーパーがクレームで混乱している様子は、現時点では見られていない。


もう一つ、学校の話。

我が子が通う小学校には、全員が守らなければならないルールはほとんどない。

登下校の時間は決められているが、

学校の持ち物に名前を書かなければならないとか、
子どもは家にある物を持ってきてはいけないというルールは、ない。

ただ、壊れたりなくなったりしても学校は関与しない。

だから子どもであっても、自分の行動に責任を持つ必要がある。


私の娘は普段から水筒やマフラーを学校に置き忘れて帰ってくることがある。

「また忘れちゃった」と言い、自分が忘れ物をしやすいという自覚もあるようだ。

そんな娘も自分のお気に入りの物を、仲良しの友達に見せたいと言って学校に持っていくことがある。

登校時、娘はポケットに入れたおもちゃのネックレスが、ちゃんとポケットに入っているかどうかを何度もチェックしている。

そして下校時

「あっ!」と言ってポケットの中に手を入れるが、ネックレスがない。

慌ててカバンの中をひっくり返し、カバンの小さいポケットから出てきたのを見て、ホッ。

「なんでここに入ってるんだっけ・・・あー、そうだったそうだった。もしもポケットから落ちたら大変だと思ってカバンのポケットに入れておいたんだった」と。

娘は一日中ネックレスが無くならないかどうかが気になって仕方がなかったらしい。

私としては水筒とマフラーもそれくらい気にして欲しいが。

みんな自分のことを自分で考え、自分で決めている。

学校も自由度が高いと感じるが、それによって混乱している様子は現時点では見られていない。


私は自分の物を自分で管理することは、生きるために大切で基本的なスキルだと思う。

それを自分で理解し練習していくためには、小さな年齢から自分の自由を使い、失敗しながら自分で学ぶ必要があると私は思う。

私たち大人は、どんなルールを子どもに守らせようとしているだろうか。

そのルールは、むやみに子どもの自由を奪ってはいないだろうか。

オランダの学校では大人が決めるルールを最小限にし、できる限り子どもの自由を尊重する環境の中で、子どもたちが自分で考え、自分に責任をもって行動する練習を4歳または5歳から行なっている。

そして、子どもたちが調和のとれた社会生活ができるように、人とつながりお互いに助け合うことを学校で体験的に学んでいる。

このような教育を受けた多くの人が、大人になっても秩序を保つ努力をしている。


オランダにも秩序が保たれ辛い地域があったり、自由が苦手なためにこの国で生き辛さを感じている人もいるだろう。

また、オランダと日本のように法律や歴史や文化などが異なる国では秩序の形も異なり、自由を良いと思うかどうかは、人それぞれだ。


昨今、日本の多くの人々の子育てや教育に対する価値観は「自由」を求める方向へと変化しようとしているように、私は感じている。

子どもたちが変化に対応しながら自立し、自由に生きながら秩序のある社会を作っていくには、

子どもが自分に責任を持って自由を使い、
人々と温かくつながり生きる練習をすることが十分認められるような
家庭、教育現場、制度などの環境が必要だと、私は思う。

私はそれを、肌で感じている。

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