重度知的障がい児通園施設でのボランティアで学んだこと
今から15年ほど前、私は発達障がいについて学ぼうと、重度知的障害児通園施設(現在は児童発達支援センターに名称変更)で半年間ボランティア活動を行った。
その時受けた衝撃を、私は一生忘れないだろう。
緊張
そこは知的障がいを持つ4〜6歳の就学前の子どもたちが集団生活を学ぶための通園施設であり、知的障害と自閉スペクトラム症を併せ持つタイプの子どもも多く在籍していた。
3つのクラスそれぞれにクラス担任1人とその補助1人が配置されていた。
それまでの私はごく一般的な保育園しか見たことがなく、
重い知的障がいと発達障害を併せ持つ子どもたちの保育現場に入るのは初めてだった。
自閉スペクトラム症の特性として、‘こだわり‘を持つということは知っていた。しかしそこにいた子どもたち一人ひとりが持つこだわりのかたちとその強さは、私の予想を超えていた。
同じ行動をくり返している子がいた。
外に向かってひとりごとのような、言葉にならない音を発している子がいた。
棚の上など高いところを、止まることなく渡り歩いている子がいた。
絵本を集中して見ているが、最後のページになると急に耳を塞いで苦しそうにする子がいた。
呼んでも振り向かない、目が合わない、そのような子が少なくない中で、
彼らに大人の伝えたいことをどうやって伝えているのか?
大人は彼らの気持ちを汲み取ることができるのか?
今となってはそんなふうに思ったことを申し訳なく思うが、
私は初めて彼らを見た時、彼らが集団生活を送っているとは正直信じられなかった。
私は緊張していた。
A君
私が入ったクラスに、興奮しやすい特性を持つ5歳のA君がいた。A君は室内で興奮すると、物をなぎ倒して走ったり高いところに登ったりすることがあるという。
教室の一角には机で囲われたA君専用のスペースがあった。A君はそこが「自分の安全基地」という意識があるようで、その中にいる時はとても穏やかだ。それゆえ他の子どもがそこに入ろうとすると攻撃的になる姿も見られた。
担任の先生は、A君が興奮しはじめたことを察知すると、教室の外にあるテラスにA君を誘導する。そこでA君は気持ちが満たされるまで走り、スッキリして自分から教室に戻り、自分の安全基地にそっと戻るのだった。
A君が言葉を話す姿は、ほとんど見られなかった。
先生は、A君が好きな遊びを見つけられるように、いろいろな遊びに誘う。
先生と一緒に遊ぶ経験を重ね、少しずつA君は自分の好きな遊びを理解していった。
A君は、自分はテラスが好きだということを自覚した様子。
先生が写真のついたカードをいくつか見せ「どれがやりたい?」と尋ねると、A君はテラスのカードを指差して、応えるようになった。
先生は、A君が走りたい時には物を置かずにスペースを広く空ける。A君がもっと遊びたいと思っていることを察すると遊具を置いて、登ったりジャンプしたりくぐったりして体を十分動かして遊べるようにした。
徐々に、A君はやりたい遊びを思いつくと自分からカードを持って先生に見せに行き、自分の気持ちを先生に伝えるようになった。
自分の気持ちがソワソワしてくると、教室の中を走り出す前に自分でテラスのカードを先生に見せる。その際「おねがい。」という言葉も言えるようになった。
ルール
しばらくして私は、ここにいるどの先生も子どもに対して「ダメ」という言葉を全く使っていないことに気がついた。
私は保育園で、子どもの行為に対して「やめてほしい。」と思った時に、「ダメ。」と声をかけてきた。
ここでは子どもは、大人がやめてほしいと思う行為をしていないのか?
いや、高いところに上がる子もいるし、大きな声を出す子もいる。
でもここには、「高いところに上らない」や「大きな声を出さない」というルールはない。
ここにあるルールとは何だろう。
そういえば、ここには子どもに守らせるルールがない。
その子にとって、どうしても高いところに上がることが必要だと判断した時、先生は側で見守っていた。
同じように、大きな声を出すことが必要だと判断した時は見守っていた。
ルールを説明しても、知的障がいを持つ子どもには理解できないからだろうか?
確かにそのような一面もあるかもしれない。
しかし、ルールがない中でも子どもたちは心地よく過ごせているように見える。
ではなぜ、みんなが心地よく過ごせているのか?
大きな音を嫌がる子どももいる。
高いところに登りたがる子どももいる。
高いところから落ちたらその子はきっとケガをするだろう。
どうするのか?
よく見ると、子どもはいつも大きな声を出したり暴れたりしているわけではない。
先生は一人ひとりの子どもの気持ちが高ぶるきっかけを理解し、子どもが大きな声を出す前に対応していた。
そもそも、先生たちは「大きな声を出させない、暴れさせない」という目的で保育をしていない。
ここにいる子どもたちにとっては、「なぜ他の人がいる場所で大きな声を出してはいけないのか」という理由を理解することは難しそうだと私は感じた。
それでも社会で生きていくこの子どもたちが、他の人の前で大きな声を出さないようになるためには、まずは大きな声を出すこと以外の表現方法を知り、そして自分でそれを使えるようになることが必要になる。
適切な表現方法を知らず、まだ自分をコントロールできない段階の子どもが大きな声を出す姿を見て、大人が一方的に「ダメ。」と言ってやめさせようとすれば、行き場を失った子どもの気持ちはさらに高ぶり、行動はエスカレートするだろうと想像できた。
ここでは大きな声を出しても大丈夫。暴れたくなっても大丈夫。
子どもが好きなこと、楽しいと思う経験を一つでも多く積み重ねる中で、子どもたちが自分に合った表現方法を身につけられるようにサポートする。という先生たちの思いが、保育を通じていつも感じられた。
だからみんなが安心して過ごしていた。
子どもたちは先生のことを信頼し、ここが安全な場所だと感じているようだった。
先生
障がいの特性ゆえに、変化することが苦手な子どもたちだが、信頼する先生が自分に向かって話すいろいろな言葉は心地よいのだろう。
目と目は合わなくても、子どもは先生を見ていて、先生の言葉を聞いている、と私は感じた。
なぜなら、先生は意図的に言葉の使い方を変えたり、普段と違う遊びに誘ったり、生活に小さな変化を少しずつ取り入れ、そして子どもたちがその変化に少しずつ対応することができるようになっていく姿を、私はそこで見たからだ。
先生たちのクラス間の連携も固い。
クラス内で手が足りない時には他のクラスにヘルプをお願いするが、こちらがヘルプを出す前に隣の担任の先生が「手伝おうか?」と声をかける。
互いに隣のクラスの動きを察しているのだ。
この連携によって、同じタイミングで興奮した子どもたちがクールダウンしようとする時も、誰がどこを使うかすぐに振り分けることができ、子どもはスムーズにクールダウンすることができる。
「子どもは障がいを持っているから、分からない。伝わらない。」そう思っている先生はいなかった。
子どもが「分かる」にはどうすれば良いか。それを「伝える」方法は何が良いか。本当にそれは子どもに良いのか。保護者とどのように連携をとるか。
子どもが帰ってから行われる職員会議で、職員全員が子どもの情報を共有しサポート方法のアイデアを出し合い、一人ひとりの子どもに合った支援を考え抜こうとする先生方の姿勢は、とても印象的だった。
A君は数ヶ月前までは別の施設に通っていたそうだ。
そこでは彼が「施設内で暴れる」という理由で、ほぼ隔離された状態で数年間過ごしてきた、ということを私は後々知った。
A君は、カードが何を示すかが分かってくると、朝と夕方の会に参加するようになった。
「A君、会が始まるよ。座ろう。」と先生が呼びかけると、A君は自分のスペースから出てきて自分の写真が貼ってあるイスに座る。
そして絵や写真のカードを並べて示された、今日の活動をじっと見る。
A君は会に参加するようになってから、それまで取り組んだことのなかった歌やダンスにも、興味を示すようになった。
こうして子どもたちは全員、朝と夕方の会に参加し、月一度行われる誕生日会や年一度の運動会などにも参加している。
誕生日会場は教室とは違う場所だ。大勢の人に囲まれ、いろいろな音が聞こえる。
みんなでそこに集えるように、子どもは先生と一緒に少しずつ少しずつ練習するそうだ。
自分のクラスから少しずつ離れて、誕生日会場まで自分で歩いていけるように時間をかけて少しずつ自分を慣らしていく。
そうして会場に入れるようになり、自分の席に座れるようになり、いろんなものを見たり、音を聞いたり拍手をしたりすることが少しずつできるようになっていく。
ケーキのろうそくの火(作り物)を吹き消す子どもたちの表情は、皆とても嬉しそうだった。
私の保育
「これをしちゃダメ。」「これをしなきゃダメ。」
子どもが私の指示通りに行動してくれない。約束をしても守ってくれない。
私はそれを子どものせいにして叱ったことがある。
「子どもが大人に従うのは当たり前。いろいろなことができるようになって当たり前。」と思っていた。
そういえば私は、子どもを自分に従わせることにとらわれて、実際に子どもがどのように成長発達しているか、考えることを忘れていたような気がした。
こちらでのボランティア経験を通じて、「保育士の私は、誰の、何のためにいるのか。」を考えるようになった。
それから、保育園の子どもたちとの関わりでは、私は子どもに「ダメ」と言わないで保育を行うようになっていた。
2歳前後の子どもたちが、私に向かって自分の気持ちをまっすぐに主張してくる。
言葉や身振り手振りを駆使して、一生懸命伝えようとする気持ちが伝わってくるのだ。
以前は子どもが「いや!」と言うと、「自分勝手」や「わがまま」ととらえていたが、
全く思わなくなった。
自分の気持ちをこんなに一生懸命伝えようとすることができて、素晴らしいなあ。と心から思えた。
子どもが言葉や身振り手振りで話す度に、「え、そんなこともできるの?」「そんなことまで分かってるの?」と嬉しくなって笑った。
私は保育園で、子どもとの距離が近づいたことを肌で感じることができた。
これをパラダイムシフトと呼ぶのだろうか。
衝撃的な自分の変化だった。
私は子どもに、やりたくないことをやらせるのではなく、やりたいことを一つでも多く見つけることに力を注ぐようになった。
施設ではあまり見られない光景だったのでその感覚を忘れていたが、
保育園では、ある一人の子のやりたいことを探していると、いつの間にかクラス中の子が「やりたい!私も僕もそれが好き!」と言って集まるのだ。
一人の好きなものが、みんなの好きなものになる。みんなの好きなものがどんどん増えていく。
子どもにとって好きなことが増えれば増えるほど、ネガティブな気持ちになった時に気持ちを立て直せる可能性も高まる。
子どもがどうしても譲れない気持ちになった時、
「なるほど。あなたはそう思うんだね。」と声をかける。
こちらが決めたことをやらせるのではなく、いろいろな選択肢を並べ「どれならできるかな?」と子どもに問いかける。
実際にそうして困難を乗り越えていく子どもたちを、私はこれまでにたくさん見てきた。
そのような保育を見て、「子どもがわがままになる。」と言う大人も少なからずいる。かつての私も、そうだった。
でも今、私はこれでいい。
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