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バランス
年末年始、10日ほど東京を離れていた
私はしようと思えば二拠点生活ができる場所があるが、今の所東京での暮らしがベースになる
住む場所が変わればバランスも変わる
戻ってきてまだ2日程度だが、まさにここからいかに日常のペースにスムーズに戻していくか?が大切なのです
ええ、私、変化に弱いのでここをしっかりとしとかないと、後々、悪影響が出て長引くなので
こういう自分の「いつも」を意識するようになったはいつ頃からだろうか?
こういうことを歩きながら(この歩くもまたいつものペースに戻すのに今の私には有効だ)振り返る
ああ、ここではないどこかに帰りたい
そう思わなくなってからだ
帰りたいっていうのは死を意味するものではありませんよ(笑)
ただ、当時はいつもいつも、自分の部屋に一人でいても「帰りたい」と思っていた
今いる場所が自分のいるべき場所だと思えなかった。不安でいっぱいという自覚はなかったけれど、「今」ではないところに自分がいるべき場所があるような気がしていた
そのどこかよくわからない場所ばかりを求めていて、現実とか自分というものを直視することができなかったのだなと思う。
それが心理を学んで変化した
ここではないどこかとは自分の逃げでしかないことを知ったし、自分なりに自分自身との対話を繰り返して、少しずつああ、実はそんなことを思っていたのか?とかそんなふうに自分を責めていたんだなぁとか、過去のやらかしに頭を抱えたり、わかってくれないのはあの人ではなく、私の方だったと悶絶したり、そうやって少しずつ自分との関係というのを回復していった。
そして自分のペースとか、自分なりのバランスというのをとることに日々日々けっこうなエネルギーを注いでいる
人が私のことをどうみているのかは知らないけれども、私はわりと綱の上を毎日バランスをとりながら落ちないように歩いている、そんなヒヤヒヤするような危うさの中で自分を保っている
そして、この危うさってみんな持っているものだと思う
だって、瞬間瞬間、変化する中で生きてるわけだしねぇ
で、このバランスについてなんだけども、例えば、お酒
私の人生のモットーは「心地よくお酒が飲める心と身体(追加でスピリットね)」である(笑)
私はお酒が好きだけどただ、飲めればなんでもいいとは思っていない
心地よさの中に「お酒を飲んでリラックスすること」が入っているというだけである。でも、お酒飲む人ならわかると思うけど、飲めば心地よくなるか?っていうと違うでしょう?酔っ払うことと心地よさって必ずしもイコールではないんですよね
そこには自分なりの条件があるのだ
そして、最近思うのはこの条件はもしかすると私の中でとても繊細なものの上に成り立っているのかもしれないということだ
まずは身体というコンディションがある
身体のコンディションが悪いと、感情がネガティブに傾きやすいので
お酒がまずくなる
そしてやけ酒はリラックスではなく現実逃避のためのものとなるので、お酒が冷めたあと辛くなる。か、もしくは絶望する(経験済み)
いや、もちろん愚痴りたい時はありますよ
「飲んでやる」「これが飲まずにいられるか💢」と思う日はもちろんある
そんな時は友達に愚痴を聞いてもらってから飲むことにしている(笑)
これは一つの例でしかないけれども、私にはこのようなことが言語化できないものを含め、かなりあるんだなということに歩きながら気づく
好きなものを好きでいつ続けるためのバランスを取る
うまくいかないことがあっても自分のバランスをとり続けて心地よくいるために
そしてその心地よさがが周りに伝播していくことを願いながら
少しでも賢くいたいなと思う