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振り返ったら見えてきたトランジション(移行、変化、過渡)のパターン

2022年3月
私は、後が未定のまま12年間の公務員生活にピリオドを打ちました。

「自分の好きなように生きるんだ」

と決めての退職だったけれど、いざ辞めてみると心がいろいろ混乱している。

自由な状態が“非日常”だった最初の3ヶ月は、朝スタバに行ったり、あちこち出かけたりすることが楽しくて仕方なかった。

なのに
退職4ヶ月目に入ったあたりから、その生活が“日常”になり、何者でもない自分に愕然とするようになってしまったのです。

わたし、どーすんの?

もともと装備しているジェットコースターみたいなメンタルに拍車がかかってきそうな気配を感じる。

やばいやばいやばい…!


ということで思いついたのが、過去のトランジションを振り返ってみること。

当時の情景や感情を思い出しながら筆を走らせたら、いくつかの共通点が見えてきたのです。


これから大きな節目を迎える(かもしれない)人や、まさに今トランジション中の人に、少しでも参考になったらうれしいです!

もくじ

1、過去のトランジション
 ① 体育会系ゴリゴリの部活を辞めた時
 ② 航空会社を辞めた時
2、見えてきたパターン
 ①違和感を感じた時は
  次のステージへ向かうサイン
 ②「終わる」と混乱する
 ③余白ができると直感が働きやすくなる
 ④次が始まるまでには時間が必要
 ⑤行動すればフィットする場所が見つかり
  道が開けていく
3、まとめ


1、過去のトランジション

①体育会系ゴリゴリの部活を辞めた時

大学時代、私は体育会系の部活で週5〜6日テニスをしていました。

⚫︎授業<部活。
講義の途中でも関係なく抜け出し、集合時間より早くコートに着いて下準備

⚫︎団体戦の日はレギュラー選手の私物ラケット他を両手いっぱいに持ち

⚫︎声が出なくなるまで声援を送り

⚫︎ボールガールをし

⚫︎試合後そのまま居酒屋へ

⚫︎ペコペコの胃袋にジョッキビールをすべて流し込むまで食を与えられないので

⚫︎先パイの目を盗んでウコンと牛乳を秒で飲む

⚫︎一発芸を強要され

⚫︎おもろくなかったら「イッキ」コール炸裂

⚫︎二次会カラオケオールのち始発電車で帰路に着く…


そんな生活を3年ほど送っていました。


ところが。小さな違和感が少しずつ積もっていたのでしょう。
ある日爆発してコートを去ることになります。


当時親元を離れ一人暮らしをしていた私は、1日の大半を占めていた部活という時間がすっぽり抜け落ち、何をしたらいいか分からなくなってしまいました。

ーーーーー
あの日、みんなに違和感を伝えているうちに、
今まで頑張ってきたことを思い出して
大泣きしたよね。
話しながら「本当に辞めていいのかな」って
分からなくなってきてた。

そこで踏みとどまってたら
やり直せたんじゃないの?

そしたらこんなに虚しい日々を送ることになんて
ならなかったのに。

あーあ。選択まちがえたのかもねw
ーーーーー

こんな悪魔のような囁きがどこからともなく聞こえてきて、私を更に陥れようとしてくる。

加えて、「体育会系の部活でゴリゴリやってるスゴイ人」(と自分では思ってた)というステータスを失ったことも、落ち込みに拍車をかけていました。



これからどうしよう

心がどこにもフィットせず、ふわふわ浮遊したまま時間だけが過ぎていたある日。

ふと

「そういや、ピースボートに乗って地球一周したいっていう高校の時からの夢があったんだ」

と思い出します。

調べてみたら、アパートから電車で片道40分ぐらいのところにピースボートセンターがあって、そこでボランティアをすれば旅費を安くしてもらえる、ということが分かりました。

「貧乏学生でも乗れるかもしれない」。

すぐに連絡し、ボランティアとして働かせてもらうことになりました。

結局ピースボートには乗らなかったのですが、そこで色々な出会いがあり、私の最初の就職先を決定づけるご縁と繋がったり、彼氏ができたりwしました。

退部してから半年ほどかかったけれど、気づけば新しい世界が目の前に広がっていたのでした。


②航空会社を辞めた時

大学3年生の終わりごろ、私はある御縁がキッカケで「空港グランドスタッフに何がなんでもなりたい!!!」と思うようになり、新卒で航空会社に就職しました。

航空会社にはいろいろな職種があります。
私は最初は国内線の電話オペレーター、そして1年後には大阪市内にある発券カウンタースタッフ、という変遷をたどりました。

どちらの職場も大好きな飛行機が見える場所ではなかったけれど、とにかく飛行機に関われるだけで嬉しくて仕方がない。

「お客さんに空の時間を思いっきり楽しんでもらいたい!」

そんな思いで、毎日やりがいを感じながら働いていました。


社会人4年目 念願のグランドスタッフに

そして社会人4年目、私はついにグランドスタッフになりました。

研修を受けて知識を積み、先輩に見守ら(見張ら)れながらチェックインカウンターに立ち、無事ひとり立ちの試験に合格して晴れてデビュー!

制服を着てスカーフ巻いて、パンプスで空港内を闊歩する自分に酔いしれていました。



ところが。
グランドスタッフになって4ヶ月ほど経ったころ、仕事も生活もイヤになってきてしまったのです。

強烈な女子タテ社会、不規則すぎる勤務体制による体調不良、先の見えない独身一人暮らし生活(グランドスタッフはパイロットとのゴールインはほぼ無)etcが原因だったのだと思います。

加えて、姉と祖父母が相次いで体調を崩し、実家がピンチになるという事態も重なりました。

私は憧れのグランドスタッフになって6ヶ月で、航空会社を退職することを決めました。


無職で実家に戻る

社員寮から実家に戻った無職の私は、家族のために家事労働を始めました。

最初は頑張っていましたが、家にずっとこもっていることは本来性分に合いません。

華やかなグランドスタッフというステータスを捨てたうえ、貯金も減る一方。

どんどんネガティブになっていき、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていったのでしょう。
ある日、グーパンチで家にある長机に穴を開ける大爆発を起こしてしまいました。

自分の中のモヤモヤをどう解消したらいいのか分からなかったけど、少なくともずっと家事だけしている生活にうんざりしていることは間違いない。
貯金が減っていくことも不安。

私は、条件付きで仕事を始めることにしました。


求職、そして

ハローワークで仕事を探していると、市役所でアルバイトを募集しているのを見つけました。

「市役所は実家の目の前にあるから、家族の具合が悪くなってもすっ飛んで帰れるな」。

家族の急なヘルプに対応できる、という私なりの絶対条件として満たされていたことに加え、

ちょうどその時、なんとなく世の中の手続き的なこと(住民票とか年金とか健康保険とか)を知っておきたいと思っていたこともあり、事務仕事は未経験だったけれど、そこで働き始めることにしました。


働き始めてしばらくは、民間会社との雰囲気の違いに馴染めず、戸惑う日々を送っていました。

でも時間とともに慣れていき、
ふと周りの正職員さんをみてみると、女性でも定年まで働いていることに気がつきました。

ーーーーー
2〜3年で離職する人が多いグランドスタッフの仕事と全然違う。
オンナ社会特有のギスギスした雰囲気もない。
なんだかんだでゴリゴリ働きまくってる私の真横で正職員だけがボーナスもらっててふざけんなよ!って感じ始めてる…
ーーーーー

家族の体調が山場を越えたこともあって、私は正職員になることを決意しました。


その日から毎晩必死で勉強し、なのに筆記テストがボロボロすぎて大泣きし、でもなぜか通過し、二次試験の面接は得意だからまぁ行けるよね。

という具合で1年後、晴れて公務員になりました。


航空会社を辞めてからアルバイトを始めるまで4ヶ月
そこを皮切りにまた違う世界に繋がっていき、2つ目の大きなトランジションを乗り越えたのでした。


2、見えてきたパターン

①違和感を感じた時は次のステージへ向かうサイン

〈テニス部〉
暗黙の了解やナゾの通過儀礼に対する違和感

〈航空会社〉
女子タテ社会における不文律への違和感、体調不良

②「終わる」と混乱する

〈テニス部〉
何をしたらいいか分からない日々

〈航空会社〉
机を壊す大爆発

③余白ができると直感が働きやすい状態になる

〈テニス部〉
“ふと”思い出したピースボートのこと

〈航空会社〉
行政の手続きを“なんとなく”知りたいと思って始めた市役所でのアルバイト

④次が始まるまでには時間が必要

〈テニス部〉
半年ぐらい

〈航空会社〉
4ヶ月ぐらい

⑤行動すればフィットする場所が見つかり道が開けていく

〈テニス部〉
ピースボートボランティアでの出会いからの最初の就職先

〈航空会社〉
市役所でのアルバイトからの公務員


3、まとめ

今回も過去と同じように展開するとは限らないけれど、自分のパターンを知ることでトランジション期のしんどさが軽くなったように思います。

混乱して当たり前、時間がかかる、行動すれば道が開ける、って分かっているだけで、心の持ちようが違いますね。

もし今あなたが大きな節目を迎えている(迎える予定)なのであれば。

今までのトランジションを一度振り返ってみることをオススメします!


次にこのnote書くときはどうなってるかな〜

またね(^^)/

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