2024.9.28 謝罪
ふと、本気で謝ったのはいつだろうと考える。社会人になってから、心の底から謝ったことがあまりないかもしれない。レストランで働いていた時に、お盆をひっくり返してお客様に水をかけたとか、事務の手配ミスで10万の損失を出したとか(悲しいかな、どれも実話)、自分がしでかした時はもちろん、心から謝った。正直、書いていて今でも恥ずかしくて申し訳ない。
ただ、製品の初期不具合や故障や、大枠では「会社全体のミス」である場合は、心にシャッターを閉ざして謝る。キーボードで「もうし」と打つと「大変申し訳ありませんでした」と自動変換で出るレベルだ。
機嫌の悪い上司に「俺は深夜の12:00まで仕事してるんだ!お前はやってないだろ」と怒鳴られ「謝れ」と詰め寄られた時も、多分顔は死んだまま、口から言葉だけを発した。
そんなに、謝ることは難しいのか。今夜、映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かなデザイナー』を見た。言葉によって傷つけた者と、傷つけられた者。謝罪を受けいれてもらった、今は前よりも幸せだ、と語る加害者と、一度も謝罪に来ないから反省もしていない、今も苦しいと語る被害者。その一生埋まらないであろう溝がリアルで、怖かった。
この映画で、謝罪を「する」側が、相手に対して謝罪を受けれてもらえた、とは決して言ってはいけないと痛感した。それは、相手が決めることだから。作中でジョン・ガリアーノは、60を超えてなお魅力的でスタイリッシュで、またどこか6歳くらいの少年のようだった。
「口は災いの元」、諺は本当によくできてる、と思う一日だった。