花の色は~「百首正解」より
百人一首第九首目、小野小町の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。
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花の色は移りにけりないたつらに我身世にふる詠せしまに
「移りにけりな」という「な」は、歎にて、花の移り(魅力が色あせること)を強く言っている。
「いたづら」とは、仇(恨みの種)ということである。
「ながめ」とは、長眼の心で、寂々と(ぼんやりと)物思いにふけることである。
「爾(に)」が、てにをはの留めにある時は、上の詞に反る格(きまり)である。
この歌は上の句の留めにも、下の句の留めにも、「爾(に)」の言葉があるけれども、上に反る意味があることによって耳障りにならず、
仇に花の色は移りにけりな、さてもさても(まさしく)移りにけりなと反す格(きまり)である。
一首の心は、仇に(はかなくも)花の色は移りにけりな、さてもさても(まさしく)移りにけりなと、その花を寂々と(ぼんやりと)見とれているうちに、我が身も老いてしまったという心である。
花が昨日のうちに咲き、今日は色あせてしまうように、朝がたちまち夕べへと移り変わるように、ものごとは移ろいゆくものだ。うかうかと花を見ているうちに、光陰は私を待つことなく過ぎ去ってしまうことを言い添えているのである。
[注より]
花という語の由来は、「は」とは放つこと、「な」とは水火(イキ)を與(く)むことである。
草木の氣(イキ)を放つという語のことで、人の言葉と同じである。
色という「い」は氣(イキ)、「ろ」は固まることである。
人の五音の分(※1)と同じである。
だから五色(※2)に分かれ、その蕊も五つである。
人は五十連(イツラ)の音をもって自在にものを言い、草木は五色をもって自在に花を咲かせる。草木は何も話さなくても、五の数を以てする。
花はまるで人がものを言うのと同じである。
※1五音…古典文学や音楽理論で、「人の感情や性質を五つの音で表現する」という考え方があり、古代中国の音楽理論や哲学に起源をもつ。
1、宮(きゅう)→基本音で、心の平和や安らぎを表現する。
2、商(しょう)→喜びや満足感を象徴する音。
3、角(かく)→激しい感情や不満、悲しみを表す。
4、徴(ち)→哀しさや感傷的な気持ちを示す。
5、羽(う)→楽しさや軽快さ。明るい気持ちを象徴。
※2五色…密教では五つの色がそれぞれ異なる仏や観念を象徴している。
1、青…護法
2、赤…愛や慈悲
3、黄…知恵や悟り
4、白…清浄や浄化
5、黒…悪や無知の消失
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百人一首の中でも、多くの人に知られているこの歌は、なかなか奥深い和歌でした。上に反る働きがある爾(に)によって、繰り返しのリズムが生まれ、我が身の老いの悲哀が切実に読む者の心にまで響いてきます。
また、注より花と言葉の関係性を垣間見ることができました。
草木が五色で自在に花を咲かせるとありましたが、これはどういうことなのでしょうか。上記に示した通り、密教の五色について調べてみましたが、よく分かりません。また、五色人は、異なる人種や民族の人々を指しますので、様々な国で花開くことを言っているのでしょうか。
日本では古来、花と云えば桜を指しましたが、もともとは梅だったという説があります。また桃はイザナギ、イザナミ伝説にも重要な役割を果たしますが、これらの花はいずれも五つの花びらで、五つのガクを持っています。
ちなみに「水穂伝」を見ると、片仮名の五番目は「エ」となっており、「天地の胞衣(エナ)也」と出てきます。生存に欠かせない空気がイメージされるのですが、そう考えると五は大変重要な数字と言えます。
時の移ろいの悲哀を歌っているだけでなく、花と人、花と言葉の関係性についても示された和歌だと分かりました。