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あまのはら~「百首正解」より

百人一首第7首目、安倍仲麻呂の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。


あまのはらふりさけ見れば春日なる三笠のやまに出し月かも

中国で月を見て詠んだとある。
安倍仲麻呂は唐開元4年に入唐して、それから唐の上元元年まで約45,46年ばかり在唐して、日本に帰ろうとして、明州という港から船に乗って出港した時、月が澄昇っているのを見て詠んだ歌である。

アマノ原とは、アマは天に向き(アマ)、海に向かう(アマ)といって天と海と向き合って遠いことを言っている。原は広いことである。

フリサケとは、頭を傾けて振遠放(フリトホサケル)ことである。

春日なるという「なる」は、「にある」の約(つづめ)で、日本の大和の国の春日を幽かに掛けているのである。

「月かも」という「か」は疑問である。「も」は「もまた」といういうことで、疑問を起こした言葉である。

一首の心は、明州の港を出て天と海とに向かい伏して広大な空を頭を傾けて遠く振り仰いで見ると、さし上る月はまさしく我が国春日野三笠の山から出た月であろうか。ただし、亦と疑いを含んだ心地である。

この「かも」というテニヲハは、この一首の肝要である。遠い国にあって澄昇った月を望み見て、まさにわが日本春日の三笠の山の方角とは思うけれども本当にそうだろうかと疑っているうちに、自然と故郷のことを思いやられる心を込めて歌っている。

この歌は、現在の意味とほぼ同じですが、ただ「天の原」が現代語訳では広々とした大空のみを指すのに対し、山口志道は海と空の向かい合わせと取っています。広大な空と海の間(あわい)を進む安倍仲麻呂一行。その先から月が差し上り、その中で45年ぶりの懐かしい日本を思いながら出港した安倍仲麻呂一行。彼らの見つめる広大な自然が感じられ、彼らの望郷の念はいかばかりかと推察されます。結局日本に帰ることは出来ず、海中で亡くなったと記してありました。


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