三種の神器とは
カタカムナ80首のうち、「ヤタノカガミ」が71首、「フトマニ」が7首、「ミスマルノタマ」が2首が中心図表として使われています。
なぜ、中心図表が三種類あり、使い分けがされているのか、その理由を明確に示してくださる方に出会えませんでした。中心ですから最も大事なパーツのはずです。なのに使い分けの意図を説明し得ない。カタカムナ特有の胡散臭さはここに漂っていたわけです。
この大きな問題点に、明快な解答を与えた方が天道仁聞先生でした。下の図を見てください。
上の表が対比されていて分かり易いと思います。
従来フトマニとされてきたものは、実はツルキ、ミスマルノタマとされてきたものはカガミ、そしてヤタノカガミとされてきたものこそフトマニノミタマであり、各々タカミムスビ、カミムスビ、アメノミナカヌシに対応しています。もしかしたら楢崎皐月氏自身も、ここらあたりの解釈を見誤っているではないかと、天聞氏は見解を述べています。
言霊秘書に以下のように書かれています(概略)。
宝剣は主上の徳を表します。そして、神鏡は后の徳を表します。ツルキは言霊で読み解くと、連なる息となります。ですから、決して剣は人を殺害する道具ではありません。君臣の息が連ならないときは国は乱れます。そういう時に剣をもって和平し、国家を安寧に導くのです。
国家安寧に治めるには、上下間に和平が必要で、和平に導くものは、人の契りにあります。契りの本(もと)は、ツルキの反しチとカカミの反しキとの徳に収まります。
今、チの音は、水中の火の霊にして、母の鏡の水中へ、父の剣の火和らぎ睦む。その音をツルキというのです。これこそ、息連む(ツルム)ということです。
また、ヤタノカガミについても以下のように述べられています(概略)。
八咫鏡とは、本(もと)語はイハトヒラキ(岩戸開き)であり、イハトヒラク(岩戸を開く)鏡ということになります。
イハの反しはヤ、トヒラの反しはタですから、ヤタとなります。
八咫烏の本語はイハトアキ(岩戸開き)、岩戸を開ける鳥という名前です。
鏡は日太神(ヒノオムカミ)の御徳を表し、烏は諸々の神々が集うことを表しています。八咫鏡は総ての鏡、総ての烏のことではありません。
結局、剣と鏡が契りを結ぶことで岩戸が開き、その時神霊が鏡のごとく照り輝くことをヤタノカガミというのです。ですからただの鏡を表しているのではなく、剣と鏡を足して八咫鏡という神宝となるのです。
続いてフトマニノミタマ=印の御靈を見ていきましょう。
三種の神器の中の国の印を指し、印の御靈と言います。宝剣は主上の御靈、神鏡は后宮の御靈、印の御靈は太子の御靈を表します。
印とは、明らかに形が現れ、定まることを言います。これは形のない息が凝って、水が明るく形を表して昇る音を言うのです。
剣と鏡が契りを結び、岩戸が開く=生まれる瞬間は、ぴかーっと照り輝くヤタノカガミとなります。が、それは一瞬間のことですから、印の御靈とした方が良く、これをヤタノカガミとしてしまったために、三種類の中心図象がずれずれになってしまったということなのです。
言霊秘書は高価な書籍ではありますが、私が追い求めて止まない日本の真実が記されている「辞書」なのです。天道仁聞先生が話されている内容は、総てこの言霊秘書発信となっています。
すべてを抜粋すると余計に混乱を招くと思いましたので、太字の部分は必要部分の抜粋です。もし、疑問を持たれることがあれば、ぜひ言霊秘書をお求め下さってお読みいただければ、あやふやな部分も氷解することと思います。
三種の神器が正されるということは、一カタカムナの問題ではありません。天皇制とも関連しますから、正しい認識を持つことによって、現在脆く崩れそうな日本の根幹が強固になり、一人一人に柱が立っていくことになると考えます。多くの人に気付いてほしい内容です。