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我庵は~「百首正解」より

百人一首第八首目、喜撰法師の歌の解釈を、山口志道の「百首正解」をもとに、口語訳していきます。

我庵は都のたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり

「しかぞすむ」は、鹿ぞ住む(鹿が住む)と、然ぞ住む(そのように住む)の掛詞である。
「よを」という「よ」は、與(与の旧字体)である。夫婦と與(く)み、君臣と與(く)むことである。世を遁れるのも、與を遁れる(くみすることから逃れる)ということである。
世捨て人も、與捨て人である。
世の中というのも、寒暖が往来して、陰陽の與み合わせから来ている。
浮世というのも與むことが憂し、つまり辛いことで憂き與なのである。
「人はいふなり」とは、世を憂山と人は言う。しかしながら、私はそうは言わない、という、心に反して見る格のことである。
常の歌の扱いとは違って、詞がはっきりしておらず、義(意味)に移して見る格である。

一首の心は、我が庵は、都の巽(たつみ)の方角にあり、山奥なので、鹿も住んでおり、世を憂うると評判の宇治山に有り、と人は言う。しかしながら、夫婦の與を離れて住む身であるので、妻を恋しく思う鹿の聲がするからということで、世を憂うと評判の宇治山にあっても住むことができるという心なのである。
この歌は、我が庵は都の巽の方角に当たっており、鹿も住んで、世を憂うといわれる宇治に棲んでいると人は言うのである、というまでは一首の表の意味である。
この歌は、上に我が庵はと「は」の辞を置いて、下に人は言ふなりと留めて、これは一首の詞足らず(表現が不十分)である。
てにをは は正しくないと申し上げるが、人は言ふなりという詞の裏に、人は言ふなり、だけれども私は言わぬ。與を離れて住む身であるので、鹿が鳴くからといって、憂しという宇治山であるからといって、住むことができるということで、整っている歌である。既に古今集の序の書き入れに、この歌は詞がはっきりしておらず、始め、終わりがはっきりしないと言われるのは当然のことである。


山口志道による歌の解釈がはっきり書かれていて面白く読めました。
作者は喜撰法師、平安初期の歌人で、六歌仙の一人です。
謎めいた人物ですが、山口志道の解釈を読むと、世を離れても、鹿が鳴くところであっても、憂し山と言われる宇治山であっても、住むことができるという歌となります。隠遁生活を楽しんでいたのでしょうか。

言霊的には「與」という語が気になりました。様々な意味があり、「言霊秘書」の中の「ト」の項目に、「トクルとは、卜は與こと。ク與こと。水中の火の與むを、解と云。」とありました。
また、トヨクモヌの神は『「與與與舫貫(トヨクモヌ)」と云御名』とあり、三度與の字を使って表現されています。深く得心はできませんが、重要な語のようです。百首読み解き終わった時に、この語の言霊的解釈ができるようになっていると良いのですが。


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