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春過ぎて~「百首正解」より

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまのかぐ山

 万葉集にある歌について解説する。巻一、中大兄皇子。三山の歌の一首は天智天皇のものである。

高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相争競伎 神代従 如此爾有良之 古昔母 然爾有許曾 虚蝉毛 嬬乎相挌良思伎(カクヤマハ ウネビヲヲシト ミミナシト アヒアラソヒキ カミヨヨリ カクナルラシ イニシヘモ シカナレコソ ウツセミモ ツマヲアラソフラシキ)
反歌 高山與 耳梨山與 相之時 立見爾来之 伊奈美國波良(カクヤマト ミミナシヤマト アヒシトキ タチテミニコシ イナミクニハラ)
とあってこの三つの山の故事を詠んでいるのである。

この山は大和の国中に鼎の足のように並んで、その真ん中に香具山の女山がある。左右に畝火山、耳梨山の男山がある。耳梨山と香具山は十市郡。畝火山は高市郡にある。郡は隔たっているが、総て平地に並び立っている。だから、ここは女男の争いが有る山と神代より言い伝えられて、濡れ衣をかけられていた山なのである。

 しかしながら、持統天皇が大津から藤原に遷都なさって後、この三山をご覧なさり、大御父天智天皇の御製(冒頭歌)を思い出されて詠みなさった御歌である。

 同巻に、春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾けり 天の香具山とあり。この歌の心は、「春過ぎて夏来たるらし」とは、神代の昔から年が来て、年が去り、春過ぎて、夏が来たという心である。「来たるらし」は「らし」の反「り」にして「キタリ」ということで、ここに疑問の余地はない。「白妙」は枕詞である。「衣ほしたり」は「ほしてあり」の約言である。この衣を乾かすということの訳は、この山は神代より身に覚えのないうわさを負わせられて濡れ衣をかけられたということである。

「天の香具山」とは「アマ」は雲根火山、耳梨山ということである。その訳は、雲根火山の反「ア」、耳梨山の反「マ」にして「アマ」だからである。故に「アマ」の香具山と言えば、三つの山のことである。「アメの香具山」と読む人がいるが、それは良く物事を知らない人の説である。

一首の心。この三つの山は神代より女男の争いがあったと言って、濡れ衣をかけられた山であるが、年が去り、年が来て幾年かを経たので、その争いがあったということの濡れ衣も乾いて、今ではそのような噂さえも言う人がいない雲根火山、耳梨山、香具山という心である。

 神代の故事を安らかに詠みなさった御製である。このように神代より濡れ衣をかけられたことがあることによって、人の世となっても香具山に夏の日、帷子を濡らして乾かすことの御神楽があった。既に文麿(天武天皇 持統天皇の子。文武天皇のこと)の頃までは、まさにあったと思われる。この歌を直してこの百首の中に出されたのである。


「春過ぎて夏来にけらし」という上の句が、余りにも当たり前のことを言っているようで、どうして持統天皇ともあろう人がこのような歌を詠んだのかと浅学の私には理解が及ばず、解釈が進まなかった。
が、先日の寺子屋で山口志道の「百首正解」を学び、今まで学校で習ってきた解釈と全く異なっていることを知り、本当に驚いた。
「天の香具山」の「天の」が雲根火山、耳梨山を表現しているとは「百首正解」を読まなければ、あるいは反という言霊の法則を知らなければ理解できなかった。
そして山にも男山、女山があるということも…。

歌の解釈は時代とともに変わってしまうこともあるが、歌自体は年月を経ても変わることは無いので、歌を読み解くと秘された歴史が露わになることがあるという。
山口志道の「百首正解」で百人一首の真の解釈を知ることの何と楽しいことだろうか。


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