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「人と比べるな」なんて無理?


「人と比べるのをやめましょう」って
よく言われるけど
言われたからといって
「はい、やめます」と
簡単にやめられるものではないよね。

そんなお話。


確かにやめればラクになる

これは間違いない。
だから、みんな言うんだよね。

誰かと比べるのをやめたら
劣等感から解放されるし
みんなと同じようにしなくちゃと
焦ったり頑張ったりする
必要もなくなる。

人に追いつかれないようにと
必死になっている人もいるだろうけど
比べなければそんなに頑張る必要ない。

本当に人と比べることを手放せたら
どれだけラクにいられるだろう。


いつから比べてきた?

自分自身が人と比べるようになるのは
もう少し先だけど

ほとんどの人は
生まれてすぐから
比べられてきたんだよね。


出生時の体重だとか身長とか
元気だとかそうじゃないとか

これって全部、人との比較。
新生児の大きさはこのくらいとか
こんな泣き声だと元気だとか

平均点みたいなものがあって
それより上なのか下なのか。

その後も動作が平均点なのか
言葉を使い始めるのが
平均点な時期なのか。

自分では意識していなくても
生まれてきてすぐの時から
ずっと比べられてきた。


この頃のまわりの大人たちの言葉を
無意識のうちに刷り込んできた。


比較するとこころは休まらない

生まれてすぐの頃から
刷り込まれてきた人との比較。

成長するにつれて
より強く自分で意識するようになる。

〇〇ちゃんは走るのが早い
(自分は〇〇ちゃんより遅い)

〇〇ちゃんは絵を描くのが上手
(自分は〇〇ちゃんより下手)

学校などの集団生活になると
他の子たちのペースより遅れると
自分は劣っていると思う。

他の子はできるのに
自分はできない。

できるまで繰り返し練習させられて
みんなより劣ってる。
自分はダメだと思い込む。


一つのことをみんなより早くできる
今は優位に立っていたって
他の子に追いつかれて
追い越されるかもしれない。

優位な立場を守るために
さらに頑張る。

他の子に追いつかれないように
他の子たちを攻撃する。


どちらにしても
こころは休まらない。


どうすればいいんだろう

比べることを手放せばラクになる。

だけど、生まれてからずっと
比べることを刷り込まれてきたから
そんなに簡単には手放せない。

時間をかけてできてしまったものは
また少しずつ手放すしかない。


自分が劣っていると感じた時
誰かを羨ましいと感じた時

それは誰かと比べているということ。


まずは、自分が誰かと
比べていることに気づく。

その誰かにはなくて
自分にはあるものは何だろう。

何もかもを持っている人も
まったく何もない人もいない。

自分が当然のように持っているものは
誰かにとって喉から手が出るほど
欲しいものがしれない。

人間って案外、そんなもの。


そんなふうに思えたら
比べることって意味がないとわかる。

わかったからと言って
手放せないのも人間だけど。


優位だった人ほど難しい

子どもの頃から
他の子より遅れてると言われたり
劣等感を感じたりすることが少なくて
優位だった人ほど
人との比較を手放すことが難しい。

今まで持っていた自信が
誰かと比べたことから
できたものが多いから。

比べるのをやめると
同時に今までの自信を失うから。


比べるのをやめるのは諦めると似てるけど

劣等感が大きいと
「どうせムリ」と諦めてしまうけど

比べるのをやめるのは
諦めることではない。

プロ野球の選手もいれば
草野球の選手もいる。

計算が得意な人と
歌が得意な人
ものを作るのが得意な人
それぞれ闘う場所が違う。

それだけじゃない。
条件だって一人ひとり違う。

全力で取り組める人もいるし
何かハンデがある人もいる。
そのハンデもさまざま。

みんな違う場所で
違う条件で闘っているのだから
比べる必要はない。


とはいえ
わかったからできるわけじゃないのが
人間だよね。


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